見出し画像

サイバー神経発達症とムラ化と「推し」 3

さて、前回は現代の思想的潮流はポストモダニズムに大きく影響を受けており、昨今はそこから発展して「ニューロダイバーシティ」というムーブメントが生まれた事を書き、ポストモダニズムでは「相互監視社会」になってしまうと締め括った。

今回はそこを二つの視点から解き明かして行こうと思う。
実のところ「相互監視社会」になってしまう事についてなかなか自分自身を上手く納得させる事が出来なくてああでもないこうでもないと半月くらい懊悩していた。

本題に入りましょう。

●小さな物語は相互監視社会を生む
プロセスとして書いてみる。
・自己表現は放っておけば拡大される
現代のようにソーシャルメディアが発達した社会においては以前のように自己表現が手の届く範囲に留まらない。
・自分の物語を守る権利
ポストモダニズムでは他者の幸福を阻害しない限り己の小さな物語を達成する権利を誰もが持っている。
だがもう一方でこの権利はどんなに気をつけようとも他者の物語を侵害する可能性を孕む。なぜならソーシャルメディアは不特定多数に届き得るからだ。
例え可能性は少なく少数であろうと何者かの自己表現/小さな物語/幸福の侵害はポストモダニズムでは許されない。
・評価と抑制の循環
よって他者が己の物語を侵害しないかの評価も予備的に行わなければならないし、同時に自己表現が可能な限り他者の物語を侵害しないように抑制を行う。
こうして合わせ鏡のような抑制と評価が繰り返される。
・孤立感とエコーチェンバーとフィルターバブル
自己表現を行い小さな物語を達成させようとする反面他者のそれを侵害しないために何を行うか。これは自明の理だろう。
似た物語を持つ者とアクセスするのだ。
そのようにして似た物語を持つソーシャルメディア上の集団が生まれ自己の物語は共感のもと強化される。伝わり難いな一言で言おう。
「私/俺やっぱり正しかったんだ」

自分が正しい=大きな物語に属していると認識した人間はどうなるか。
これは歴史が証明しているし皆さんもよくご存知だろう。

はい一回休憩。
ゆっくりコーヒーでも飲んでください。
今まで読んだのと同じ量がこの後あるから 笑

●ドーパミンの影響と適応/進化の過程で人が得たもの
なぜ監視社会になるのか念の為ポストモダニズム以外の視点も考えてみた。
近しい者を慈しむ反面、分泌される事によって排他的になるオキシトシンの影響も考えたかったけど不勉強だし俺自身が母性に対する心理的葛藤を持ってて感情入りそうだからあえて考えないし書かない。誰かお願い 笑

・ドーパミンは自分より繁殖や捕食のチャンスがある個体が「しくじる」と分泌される
ドーパミン、興奮して高揚する麻薬にも例えられる脳内物質は最近の研究で「報酬が必ず得られると予定出来る」瞬間最も分泌されるということが言われている。

繁殖や捕食のチャンスが自分より高い者が居なくなれば自分のそれが増え喜びを感じる。
これは猿の頃から得たものなので抗いようがないものだ。
要するに自分より知名度や経済力、名誉、恵まれた外見、自分よりフィジカルが優れている人間が「脱落」すると人は興奮し快感を覚えるのだ。
例えば幼い児童がしくじって脱落する様を思い出して欲しい。
決して気持ち良くはないはすだ。
WEBの普及により自分より優位な個体のしくじりは今や多く見られる。
それもまた監視を生んでいる要因である。

・小さな物語を尊重すべきなのは分かっているがフリーライダーを許せない
フリーライダー。
経済学で生まれた言葉なんだけど生物学や人類学、社会学なんかでも使われる概念。
読んで字の如く「タダ乗りする人」

人間はこいつが許せない。
何度も言ってるので耳タコかも知れないが、脳容積の関係で人は未成熟なまま生まれ成体になるのに10数年は要する。
これは地球上の生物ではまあまあレアケースだ。
そしてそのために群れを作らねばならない。
少なくとも20〜30万年前からフリーライダーは群れの秩序を乱す者として処断されて来た。ではそんな太古の時代からのフリーライダーを紹介してみよう。

繁殖のパートナーに対してモーションをかける他の男
これは主に男に嫌われるフリーライダーだ。
人間の女性は多くの場合単産(卵子は一つ)なので自分の子を女性に産んでもらえずなおかつ自分の子ではない子の養育させる男は群れに多くの問題を持ち込む。

繁殖のパートナーにモーションをかける他の女性
女性に嫌われるフリーライダーだ。
さっきも言ったけど妊娠期間が長く、未成熟なまま産まれる子、そして脳容積が大きいため母体にもダメージが長く残る。
このような人間の生態を鑑みれば男を養育のリソースにしなければ母子共に生命の危機で他の女性に持って行かれれば危機の確率は上がる。

採集や狩猟をせずに食物を得る。
まあ、、言わずもがなだろう。

「遊び」を奪われる。
遊ぶ事は未成熟な期間が長い人間には発達のために必要な要素だ。
そのためか人間は発達しなければならないと脳に刻み込まれている。
言い方を変えればよく遊び発達する努力をした個体が淘汰で生き残る。
遊びを奪われる事イコール発達の機会を失う事。
成体になっても「遊ぶクセ」は残っている。
よって人間は遊びを奪われる事が大嫌いなのだ。

他にもあるかも知れないがだいたいこのへんから派生した様々なフリーライダーが現代にも居る。

群れを危機に陥れるフリーライダーを監視し、可能であれば糾弾し群れから追い出す。これは人間の抗えぬ業なのだ。
そしてWEBやソーシャルメディアは今ここに居ない個体を群れと誤認させる共感や帰属意識を増幅させそれに快感を覚えるギミックに溢れている。
逆に言えば離れた場所に居る個体を群れと認識出来るように発達出来たのが人間の強みなのかも知れないが。
帰属や共感を以前より多く感じる一方、今ここに居ない者を同じ群れであると誤認しフリーライダーであるか監視する。
以上の二つをまとめる。
人は自分より能力の高いと感じた個体がフリーライダーであれば排除したくなるし、排除させる事に興奮と快感を覚える種なのだ。

以上二つの視点から現代が「相互監視社会」である事を論じてみた。

報酬系のはたらきに後天的な特性を持ってしまった「サイバー神経発達症」になった方々がこうした事への誘惑に抗えずせっせと相互監視に勤しむ。
だがもう一方でこの現象には利点もあり、相互監視社会は今まで明るみに出なかった事を白日の元曝け出させる要因にもなっているのだ。
その結果どうなるか。
人々は不必要なまでに他者を侵害する事に気を付け潔白であろうと自助努力を怠らないようになり、そのカウンターカルチャーとして「汚れる」事に価値を感じる者も出てくる。
回転寿司のあの事件をこのような側面から論じる事も出来るんじゃないだろうか。

「ブラック」と「ホワイトニング」が際立って来ていると最近感じる。
おれはこのような社会を「漂白剤社会」と揶揄を込めて呼んでいる。


つか長い!
どうしても切れない内容なんすよ。

でようやく次は「ムラ化」に行きます。
サイバー神経発達症や相互監視社会がなぜムラ化を起こすのか、ムラとは何でどこに形成されるのか。
なぜ現代の若者は「個性的な」という言葉を否定的に捉え「エモい」「ウケる」「わかる」をグループチャットで繰り返すのか分からないオジサンやオバサンにわかるように説明します。

察しの良い方は結論見えちゃってるかも知れませんがお付き合い頂ければ嬉しいです。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?