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初めて推しの脱退を経験した話

前回も話したが私はLDHのオタクになるまではジャニオタだった。今回はジャニオタ時代を少し振り返ってみようと思う。

あれは高一の夏。当時大好きだった櫻井くんから冷めて関ジャニの大倉くん担当になりかけてた。しかし親友とエイトレンジャー2を見に行って渋谷すばるくんに衝撃を受けてしまった。正直最初は大倉くん目当てで見に行ってた。しかし劇中でロン毛で髭ボーボーでお酒ぐびぐび飲んでいるすばるくんに惚れてしまった。それまでロン毛なんて気持ち悪いと思ってた私の価値観も変えてしまった。その日からすばるくんに夢中になり毎日毎日脳内の八割はすばるくんのことを考えてる生活になった。

ほぼおなじ時期にすばるくんは坊主になり初主演映画&ソロデビューが決まった。この時はソロデビュー??!やったーーー!くらいにしか考えてなかった。当然すばるくんの映画も前売り券も買い、初めて1人で地元の映画館で見た。エンドロールですばるくんの曲が流れてきた瞬間涙が止まんなかった。

当時周りの人すばるくん好きなんだよねーって言うと"あの坊主の人が好きなの?"とドン引きされる為ネットの友達と毎日のようにすばるくんのこと話したり関ジャニが大好きな人が集まるLINEのグループに入り母親にLINEを消せと怒り狂われるまで毎日毎日話してた。

高校時代のムシャクシャして情緒不安定な時期もすばるくんの歌声で生き方で言葉でこんなあたしでも生きていていいんだと何度も救われてきた。誰にもわかってもらえなくてもいい。大好きだ。と思っていた。

しかしすばるくんがソロツアーをやったりカバーアルバムを出したりどんどんソロの仕事増えていって行って昔のような目玉をひん剥いて歌うことも減っていき柔らかくなりどこかで彼は変わってしまったんだなと思い冷めていった。

すばるくんから冷めLDHのオタクをやっていた時に脱退すると週刊誌に載ってた。ファンの人なら分かるがすばるくんはeighter!!と叫ぶ程関ジャニが、ファンが大好きだった。だから嘘でしょと思っていた。そんな矢先"関ジャニから大事なお知らせがある"と聞き嫌な予感しかしなかったし、お知らせが出るまで地獄だった。そしてお知らせがすばるくんの脱退と知った瞬間は夢なんじゃないかと思った。でもいつもふざけてる関ジャニが真剣な顔をしてスーツを着て記者会見をしてる姿を見て夢じゃないんだと思いテレビの前で大泣きした。推しは永遠にいてくれないんだと悟った。またコンサートに行けばよかったと後悔した。

脱退するまでの3ヶ月間は健二郎くんのお渡し会も外れるというダブルパンチも襲い精神的にしんどかった。だから最後の関ジャムの時はやっと辛い3ヶ月が終わるという気持ちとすばるくん居なくなんないでよというふたつの気持ちが入り交じってた。

そして今年すばるくんは戻ってきた。しかし私はFCには入っていない。それには理由がある。

すばるくんが前にスバラジで東京事変の"スーパースター"という曲を流していた。私はその曲を聞いた瞬間歌詞まんま私のすばるくんへの気持ちじゃん。と思った。歌詞の中に"もしも会えた時は誇れるように。テレビの中のあなた私のスーパースター"という歌詞があるがまさにその通りで私の中ですばるくんに会うのは夢を叶えてからじゃないと会えない、会うのが怖い存在たと思っている。

なので私はすばるくんにまだ会っちゃいけないんだとと思いFCに入らなかった。

もし私が夢を叶えたその時ありがとうと伝えられたら私はそれだけでいいと思ってる。

もう二度と経験したくもない推しの脱退を経験させられすばるくんのことを嫌いになりかけてた時期もあるけれどその経験のおかげで後悔しないようにオタクを楽しもう。健二郎くんのことを沢山目に焼き付けておこうと思えるようになったので感謝しているし何よりも私に生きる力をくれたことも感謝している。

多分本人がここを見に来ることも無いと思うがもしすばるくんに会えたら本当に生まれてきてくれて生きていてくれてアイドルしてくれてありがとうと伝えたい。

 

今回も長々と気色の悪い文章をここまで読んでくれた方本当に本当にありがとうございます😌不定期になるとは思いますがまた思いを吐き出すために描きに来ます。

~追記2021.10.12~

すばるくんのインスタでたまにリプ返しているの見てああすばるくんらしいって感じてましたが、送るどうしても勇気出ませんでした。でも昨日深夜のリプ返タイムで勇気をだして今までの感謝を送ってみました。そしたらなんとすばるくんに届きました。もう涙止まらなかったし、5年間の心残りが晴れた気がしました。本当ありがとうございました。




 







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