『RASを使ってリズムをきちんと教える学校』 【アバンギャルドな徳治主義】
9月12日
◆RASを使ってリズムをきちんと教える学校
昨年10月以降、約2ヶ月に1回開催される、このドラム講座にこれまで5回参加させていただき、今回で6回目となりました😊
ドラム講座といっても、実際にドラムセットに座ってドラムを叩いた時間はごく僅か、1回4時間程度の講座を5回で20時間の中でも、1時間あるかないかくらいのような……。
ドラムを叩いて上手くなるというよりは、上手く脳を使って、いかにドラムを叩かずにドラムを叩けるようになるかというか…
目で見えてるけど、脳で見えてない情報にもこころを向けて、明確な成功イメージを持つことで、新しい脳の回路を作り、その成功イメージに体の動きを引き寄せるというか…
ひと言でいえば、新しい脳の使い方を、ドラムを使って体感で学ぶ勉強会です😊
RASという脳の働きを理解していくことで、ズカズカいうだけで、ドラムが叩けるようになっていきます。
◆石原スペシャル【アバンギャルドな徳治主義】
その6回目の参加、今回は、これまで5回参加したということで、特別に、特別編として、僕に特化した、石原スペシャルを個別開催していただけるということになり、まずは、事前に2時間ほどのzoomでのインタビューからスタート。
その結果、決まった今回のテーマが、【アバンギャルドな徳治主義】というわけです😊
◆なぜ【アバンギャルドな】なのか?
ざっくりいうと、僕は、特に若い頃、10代や20代の頃はフリージャズやノイズなどの音楽を好んで聴いていたからという理由。
とはいえ、現在はそういった音楽をそれほど日常的には聴いておらず、好きではあるけれども、生きていくために絶対に必要というわけではない。
若い頃特有の、普通じゃない何者かへの憧れだったり、自由への憧れだったりから好きになったのかもしれないけど、
30歳を超える頃から、日常の生活の中で、家族だったり、仕事だったり、自然に、構えずに、集中したり、楽しんだりできるようになってくると、アバンギャルド音楽は、自分にとってそれほど必要ではなくなってきた。
だけれども、くっきり自分の中に刻み込まれている要素ではあるわけです。
もう一点、
アバンギャルドな姿勢は、日常生活の中でも、問題解決のための突破口になることがあるかもしれないということ。
これは、
一本道のロジカルシンキングには限界があって、どうしても行き詰まるので、確かな結論に到達するためには、いろんなことを一度に考える水平思考による論理の飛躍が重要で、
そのためには、しっかり念じて一旦は忘れて潜在意識の奥に潜らせ、直観とひらめきで答えにたどり着く、念忘解が大切だという話や、
このドラム講座の中でも教わった、スコトマ(盲点)は専門性が強いほど強くなるという話にも通じると思うのですが、アバンギャルドの中にある自由さや柔軟性や爆発力が、水平思考や念忘解をさらに一歩先に進めてくれそうな気がするのです。
◆なぜ【徳治主義】なのか?
僕は普段から、論語が好きなどと言っており、論語Tシャツなんかを作ってみたりしておりますが、特に論語を深く学んだわけではなく、論語に対する知識をたくさん持っているというわけでもありません。
とはいえ、論語の中の、
五徳や、特にその中の「仁」という徳を目指す上昇志向や、
正しく生きようとする姿勢、でも正しさは常に固定ではなく、立場や状況に応じて変えていける柔軟性や、
怪力乱神に頼らず(否定する訳ではなく、存在は認めても)自分の足で立とうとする人間を信じる心や、
全て当価値ではなく物事に自然な順列をつけて考えようとする公平さや、
感情や個性をただただ否定するのではなく、できるだけ活かそうとする微笑ましくも緊張感のある人間関係などなど、
論語の世界には、現代にはない魅力が溢れているように感じます。
ところが、現代では最も正しい社会システムは「民主主義」であると一般的には考えられており、
論語や、その理想とする【徳治主義】は形式ばった権威主義だというイメージがあり、特に、その時代のシステムでもある「封建主義」とリンクして、古臭く、悪の権化のような扱いを受けているように思います。
果たして本当にそうなのかな?
と思うわけです。
現代の民主主義社会と、2500年前の論語や徳治主義、封建主義社会とを比較したときに、本当に今が幸せなんだろうか?
そのあたりから、僕の民主主義に対する疑念や、民主という言葉への小さな引っかかりが始まっています。
◆なぜ民主という言葉に引っかかるのか?
・僕にとって「民主」という言葉のイメージ
上下関係がなく同じである
平等を求める気持ち
つまり、不平不満のあらわれ
個人的な欲望のあらわれ
勝負に拘る負けたくない気持ち
得したい損したくない気持ち
同じだと安心する気持ち
などなど、我儘から発する心の動きが基になっていて、本当には物事を正しく見ていないのではないか?
・僕にとって「民主社会」のイメージ
コミュニティの中の
等価値で、生まれ持った人権を備えた民が、
主体となって、同じ権利を行使して
全員が集まって物事を決定して
社会を運営する
・そもそも
民主の根本である
平等や等価値はあり得るのか?
平等でなければおかしい、
ずるい、負ける、損するなどのマイナス感情
実はそもそも存在しない、平等や等価値という、不平不満から発生した、ねじくれた願望を
無理矢理形にした幻ではないか?
平等とか等価値という言葉は
善いことのように捉えられているが、
(だからこそ普通は反対しにくい)
実はマイナスの感情を引き起こす
善くない言葉なのではないか
◆心が先にある
例えば、良いことがあったから楽しいと感じるのではなく、
楽しいと思っているから良いことがおこる、というか、
楽しいと思っているから良いことと捉えることができるとしたら
(なぜそう感じるかと言えば、目の前で同じことが起こった場合に、
楽しいと感じる人もいれば、不満に感じる人もいるから)
逆に
平等とか等価値という考え方が、マイナスの感情によるものだとしたら、
決して満足することなく、永久にプラスに変わることがないので、
そこに注目して、囚われているうちは、
決して善い結果は生まれないのではないか?
なので
常に心を楽しい状態にしておいて、
あるがままに在る物事を
これでいいのだと受けとめる
全てを良いことと捉えると
善い結果が生まれるのではないか?
さらに、その心の状態で、素晴らしい世界や素晴らしいゴールをイメージすることができれば、イメージに引っ張られるように、善い結果が生まれるということなのではないか?
その流れを作ることができる道筋になるのが、僕にとっての【アバンギャルドな徳治主義】なのかな、と思いました。
◆というわけで、今回の「石原スペシャル」の中では、以下のようなお話や学びがあり、【アバンギャルドな徳治主義】というテーマに見事にリンクした感がありました。
◆体の動かし方として
・体幹を意識・・・軸を意識
・骨を意識・・・骨の構造を意識
(達人は神経を意識・・・宮本武蔵)
・気を意識・・・先に気が動く
◆理気二元論
・理・・・存在理由、根源
・気・・・材料、素材
◆徳治主義・・・レベルの高いところでのホメオスタシスが働いている
自分にとって、誰にとっても良い状態=高い徳→理を求める、気で満足しない
⇅
◆民主主義・・・レベルの低いところでのホメオスタシスが働いている
不満を持った人々にとって損ではないと思われる状態=目先の得→利を求める
◆五徳(の、本講座【アバンギャルドな徳治主義】における捉え方として)
・義=利益の向かう方向→教育(愛)か洗脳か
・智=文武両道 想・体・実の充実(日がある、光が当たっている)
・信=選択しているリアリティー(採用している、民主主義か徳治主義か)
・仁=接し方(自分以外との)
・礼=ふるまい、リズム、順序、基礎、技術→分かっていれば自由に外れられる
◆その他
今やっているギター弾き語りに関連して、
・音程の話
・歌詞にズカズカを当てはめて、歌が上手くなる
・スケールもズカズカで覚えられる
などなど…。
盛りだくさんの講座となりました。
◆僕にとっての【アバンギャルドな徳治主義】とは、正に、レベルの高いところでのホメオスタシスを追い求め続けるけれども、
決してガチガチの修行のような、一本道の遊びのないマラソンのような生き方ではなく、
寄り道したり、沈んだり、浮かび上がったり、飛躍したりしながら、流れるように自由に高いレベルを目指して成長していく、理想的な生き方の道標のようなものだと理解しました。
楽しい学び
ありがとうございました😊
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