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なぜ米国大学を目指し始めたのか。 だけど、なぜUCバークレーに進学しなかったのか。

僕がアメリカの大学に行きたかったのは、
そこでの勉強や生活、サッカーに強く憧れたからだ。
この学問を学びたいから、この学部が強いこのアメリカの大学に行きたいという
明確な理由があったわけではない。

当時のリアルな感情を思い出して、
なぜアメリカの大学を目指し始めたのか、
そしてなぜ合格したのにも関わらず進学しなかったのか。
それについて書いていく。

高一まで

僕は、高一までは日本の大学に進学するつもりだった。海外(英語圏ではないが)に住んでいたことがあったし、サッカーの遠征で何度か海外に行ったことがあったので、将来海外に住みたいなとか、海外で働いてみたいなとか、ぼんやりとは思っていた。ただ、海外の大学のことを考えていたかと言われたらそんなことなく、周りの人と同じように日本の大学に進学するのだろうと思っていた。海外大学に進学するという選択肢を持ったことがなかったという方が正しいのかもしれない。


高二のシリコンバレー研修

転機が訪れたのは、高二で行ったシリコンバレー研修だ。学校が提供したプログラムで最先端テクノロジーの中心地シリコンバレーに行かせていただき、その研修でスタンフォード大学を訪問することができた。大学に通われている日本人の先輩から大学での生活について話を聞きながら大学を案内してもらう、というなんとも豪華なツアーだった。

そこでスタンフォードのキャンパスに一目惚れした。めちゃくちゃ広大で綺麗だった。楽しそうに大学の勉強や生活の話をする先輩が輝いて見えた。こんな凄い所で勉強したいし、こんなカッコイイ人になりたいと思った。スタンフォードに通いたいと思った。それは、僕が今まで感じたことのなかったワクワク感だった。ただ、同時に、スタンフォードは言わずと知れた世界最難関の大学だし、僕なんかでは入るのは無理かなという思いもあった

自分のスタンフォードへの思いを後押ししてくれたのも、このシリコンバレー研修だった。研修で出会った大人の人は、みんな自分のやっていることに全力を注いでいる方々だった。エリート官僚で安定した生活を送っていながらも、新しいことに挑戦したくなりスタートアップを始めた方や、それこそ日本の高校を飛び出してアメリカの大学に挑戦した方々など。研修を通じて出会った何十人もの大人から、全力で挑戦することの大切さを教えてもらった。

「自分で自分の道を創れ」
「若いうちはチャレンジしろ」
「自分のやりたいことを突き詰めろ」

こんなカッコいい大人たちと話していたら、自分がスタンフォードにチャレンジするか・しないかで迷っていたことなど、ちっぽけなことに見えてきた。
「まだ若いんだし、やったるか」と思い、スタンフォードを目指すことを決意した。


帰国後

スタンフォードについて調べてると、もっと面白いことがわかった。スタンフォードは全米でTop10に入るほどのサッカー強豪校だった。僕は、中高時代、学校外のクラブチームに所属していて、勉強よりサッカーに多くの時間を費やしていたくらいサッカーに打ち込んでいた。全国大会に出たり、フットサル(?)では世界大会に出たりしていた。だから、スタンフォードでサッカーと勉強両方に打ち込み、文武両道をしているアメリカ人たちと切磋琢磨したいと思った。

受験ではスタンフォードだけでなく、アメリカの他の大学も受けることにした。ただ、自分は、一度熱中してしまうと、とことんそのことばかり考えてしまう性格で、受験期はスタンフォードのことばかり考えていた


早期出願でスタンフォード大学に不合格

めちゃくちゃ悲しくて、二晩くらい泣いた。
でも、他のアメリカの大学の出願もあったし、日本の大学受験もまだ残っていた。落ち込んでいる暇もなく、次に進むしかなかった。2月末の東大受験までは、自分がどの大学に行きたいのかとか考えずに、ただ目の前のことに全力を注いだ。
無我夢中だった。



受験終了

幸い、東京大学とUCバークレーに合格することができた。
日本とアメリカの大学の全部に落ちる可能性もあったから、合格を知った時は安心した。今までの努力が報われた気がした。
応援してくれた人や支えてくれた人に結果という形で恩返しができたことが本当に嬉しかった。

合格発表が終わり、今までの疲れを吹き飛ばすかのように友達と遊んだ。
これでもかというほどたくさん遊び、逆に疲れたりもした。
遊ぶと同時に、進路についても考えた。

東大に通うことは決めていた。そこに迷いはなかった。
問題は、8月以降も東大に残るか、東大を辞めてバークレーに進学するかだった。


バークレーに進学するかどうか

結果的には、僕は東大に残る選択をした。

まず、金銭的な理由があった。奨学金に全落ちしていたので、学費や生活費を含めると1年で700万くらいかかるバークレーに通うのは現実的ではなかった。親戚や知り合いにめちゃくちゃ頭を下げてお金を借りたりしたら、1年くらい通うことは可能だったかもしれない。でも、そんな負担をかけたくなかった。

バークレーの雰囲気が自分にはそこまで合わない気がした。バークレーは全米でもかなり勉強が忙しくて、競争的な雰囲気のある大学ということを聞いていた。人数が多いため、人気のある専攻を選択するためには周りの人より秀でた成績を取る必要があり、僕は成績やテストでまわりと比べられる行為に疲れていた。

また、バークレーは様々な学問に手を出すリベラルアーツの大学というより、専攻をどんどん深掘りする総合大学というイメージが強かった。将来何をやりたいか分からず、専攻も全然決まってなかった自分にとっては、相性があまり良くない気がした。

バークレーは、学業レベルはめちゃくちゃ高いし、学部によっては全米でトップクラスだったりもして、魅力的な大学だと思う。2年制大学から編入する人や留学生も多く、色々な人がいて多様性のある大学だ。

ただ、奨学金がもらえなかったことと、大学と自分の相性があまり良くないと思ったことで、バークレーへ進学することに後ろ向きだった。


バークレーに行かなかった後の世界線

進路を考える上で、東大が面白かったというのも大きく影響した。素敵な授業があるし、場合によっては大学院の授業も受講できたりした。サッカー部のみんなは、真剣にサッカーに打ち込んでいる人達だったし、気の良い人達ばかりだった。学校外でも、自分が興味の持てる活動もできたし、中高生の頃には見れなかった新しい世界にも出会うことができた。だから、東大にもう少し残りたいと思った。

そして、同時にミネルバ大学という第三の選択肢にも出会った。調べれば調べるほど面白い大学で、ここに通いたいという気持ちが大きくなった。

バークレーに進学したいという気持ちもあったが、東大に残りたいという気持ち、ミネルバ大学にチャレンジしたいという気持ちも同時に存在していた。進路の選択の先にある色々な世界を想像し、一番ワクワクする方を選ぶことにした。


そして、
僕はバークレーに進学せず、東大に残りミネルバにチャレンジすることにした。



最後に

大学を選択するというのは本当に難しい行為だと思う。日本にさえ多くの大学があり、世界に目を向けてみると無数に大学は存在する。自分に合った大学は必ずあると思うので、納得した進路を選べるように、積極的に調べてみることが大事だと思う。

幸いにも、最近は海外の大学について発信してくれている人が増えているおかげで、情報は集めやすくなっている。僕も受験の時、非常にお世話になった。
先輩方のブログを読んで、参考にしたしモチベーションも上げてた。

だから次は、僕が情報を発信する番だなと思ったりもする。
これからしっかり発信していくので、楽しみにしていてください!



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