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伊波真人歌集『ナイトフライト』


 無機質で静謐な印象を与える無人のガソリンスタンド。とても小さな月。画面の右端には、わずかに夜の森が息づいている。
 永井博の描き下ろしだという本歌集の装画は、伊波の叙情の質をこれ以上ないほど的確に表現しているように思う。

夜の底映したような静けさをたたえて冬のプールは眠る
この星がショーケースなら電柱は街を留めおく標本の針
君からの留守番電話きくときに受話器は地軸のかたむきをもつ


 第五十九回角川短歌賞を受賞した「冬の星図」の一連から。
 一首目は歌集の巻頭歌で、作者を含めて人の気配がいっさいしないことにまず驚く。冬の夜のプールは、夏の日中のにぎわいから、もっとも遠く離れた存在だ。そういえば装画のガソリンスタンドにも、人間はおろか、車の影さえどこにもなかった。おそらく作者は人間など不在でも、そこに叙情があることをはっきり確信しているのだろう。
 二首目、電柱はしばしば「街」の美観を削ぐ邪魔者のように見なされるが、それは人間の主観にすぎない。街という「ショーケース」から人間を追い出してみれば、電柱は硬質な美しさを留める「針」に生まれ変わる。
 三首目、留守番電話もまた「君」の不在を印象づける。「地軸」は魅力的な見立てだけれど、「かたむきをもつ」はどこか謎めいた表現だ。手に持っているはずの受話器が、宙に浮いているようでもある。

空の下キーホルダーの人形がとれたチェーンが揺れつづけてる
三脚は新種のけもの芝のうえ三つのあしを下ろしゆくとき
その場所はあたたかいかい 社員用通用口にたくさんの猫


 人間が去ったあとに生まれる叙情。普通なら、そこに宿るのは孤独やさびしさ、そういう感情ではないだろうか。しかし、ここに挙げた三首はどうだろう。たとえ人形がいなくなろうとも、チェーンはチェーン自身の存在を刻み続けている。カメラは「けもの」のように世界のなにかを捕まえようとしている。そして、人間なら通りすぎるだけの場所にあつまる猫たち。
 不在の世界に叙情を見出す作者のまなざしは、あるときはとても熱く、あるときは温かい。

橋の名の駅をいくつもつなげては水を夢見る東京メトロ
川辺にも星座表にも来る春をはぐれて僕は風を見ている


「現代歌人シリーズ」の一冊として刊行された本歌集は、発売から一ヶ月ほどで増刷が決まったという。ここで詳しく論じる余裕はないけれど、作者の「不在の叙情」を支えているのは、定型というポップ・ソングへの強い信頼感だろう。そしてその感覚は、伊波ら口語短歌の新しい世代に共通する、ひとつの特徴でもあるようだ。

(書肆侃侃房・2017年)

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「現代短歌」2018年4月号に寄稿した書評です。下のリンク先に書影が載っていますのでぜひ。何度見ても引き込まれます。

■伊波真人『ナイトフライト』
http://www.kankanbou.com/books/tanka/gendai/0293naitohuraito

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