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吉田恭大歌集『光と私語』

 学生短歌会七不思議のひとつに、早稲田大学短歌会に演劇人が多いのはなぜか、というものがある。特に吉田は短歌と演劇両方に打ち込んでいたイメージで、会うとたいてい忙しく、何かの稽古に励んでいた。

六畳の白い部屋。その床面にあなたは水平に横たわる。

「ト」という連作の第一首。恋人が眠っているところのようだけれど、こう書かれると、プライヴェートな空間がそのまま舞台の一場面に生まれ変わる。ト書きの文体が醸し出す、不思議な緊張感。

枚数を数えて拭いてゆく窓も尽きて明るい屋上にいる
一月は暦の中にあればいい 手紙を出したローソンで待つ


 吉田の手にかかれば、東京のあらゆる場所が舞台に変貌する。そして読者は、それを楽しむ「観客」の一人となる。読者を「短歌の読者」という立ち位置から解放させる、これはそういう歌集だと思う。
 劇場としての、現代短歌。それを演出するのが、その造本であり、そのレイアウトだ。
 本歌集は詩歌の表現可能性を拡張し続ける制作集団「いぬのせなか座」の全面的なプロデュースによって生まれた。
 たとえば二〇三~二七三ページの第3部では、見開きの左側に、まるでボールが飛び跳ねるように大小さまざまな「円」が配置されている。上田三四二は、かつて短歌を「渦」にたとえたが、この記号も一首の空間の奥行きや連作の滞空時間、そのようなものを示しているだろう。この歌集全体が、あるいは演劇的な視点から捉えた短歌論なのかもしれない。

人々がみんな帽子や手を振って見送るようなものに乗りたい

 吉田は学生短歌会を卒業した後も、ドラマトゥルク、舞台製作者として活躍している。疲れた素振りは見せず、いつも楽しそうだ。ごく個人的な話なのだけれど、この歌を読むと必ず、舞台でいい笑顔をしていた吉田を思い出してしまう。
 私家版なので、今のところ「いぬのせなか座」のサイトで注文して数日待つしか入手方法はない。寺山修司の影響、斉藤斎藤や千種創一の作品との親和性など、現代短歌の重要な課題をいくつも含んだ一冊なのは間違いないけれど、まずはその前に、演劇そのもののような臨場感あふれる読書体験を楽しんでいただきたい。

 演劇人や詩人、様々な「観客」によってこの歌集が読み解かれることを願う。

待つ犬のまわりで何か待ちながら、わたしたち、あなたたち、拍手を

(いぬのせなか座・2019年)

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「現代短歌」2019年8月号に寄稿した書評です。2019年はすごい歌集がたくさん出ましたが造本・装幀は本書が出色だったのではないでしょうか。

■吉田恭大『光と私語』(いぬのせなか座ショッピングサイト)
https://inunosenakaza.stores.jp/items/5c1da4862a28624c2c4d68ca

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