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他人(ヒト)からどう見られるか

ついつい気にしてしまう、他人(ヒト)から見た自分。
時にはそれによって、自分が次にとる行動を無意識に選択させられる。

ホントはこうしたかったけど、誰が見てるか分かんないし、安定を選んでおくか。といった感じで。大してヒトは自分のことを見ているわけではないと頭では分かっているけど、誰に迷惑をかけるわけでもなく、何に恐れているのか、時々不思議になる。

個人的な話しになるが、日本人はマジョリティであることに安心する性質があると思っている。それゆえ、何かヒトと違う行動に出たり、ルールから逸脱したやり方をしてみたり、目立つような、型にハマらないようなことをすると、たちまち指を指されている感覚に陥る。

具体的な話しをすると、ゲイである自分は、日常生活で好きなヒトと街に繰り出すとき、隣にいるヒトは『ただの男友達』であるという雰囲気を一生懸命に作ろうとしている。

それは、何となく、この幸せな家族、男女のカップルが行き交う街の雰囲気を壊してはいけないんだって気持ちと、勝手に自分たちは認められていない関係だと思い込んでいる所にあるのかもしれない。

幼稚園、小学校、中学校、高校、大学での生活を経て、いくつかの企業でサラリーマンを経験してきて、どの社会でも無意識に特異な存在になることを恐れ、人から見た自分を平均的なものにする術を身につけてきた気がする。

長年刷り込まれてきたこの日本社会での生きる術を、この先どう使って生きようか。海外にいったら、そんな術もどうでもよくなるのだろうか?


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