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【猪犬閑話】紀州老猟師と最後の那智黒犬

本稿は『けもの道 2019秋号』(2019年9月刊)に掲載された記事を note 向けに編集したものです。掲載内容は刊行当時のものとなっております。あらかじめご了承ください。

文|八木進

私の40数年の猟歴の中で数々の猟人と、そしてまた、多くの猪犬ししいぬとの出会いがあった。

その中で前号では信州木曽路の名猪猟師との出会いとかかわりを紹介したが(下記リンク参照)、今回は特に思い出深い紀州の老猟人と紀州猪犬を記したい。

1976年(昭和51年)の早春。紀伊半島の渓流で私はコサメ(※紀州地方でアマゴのこと)を釣っていた。春3月の紀州とはいえ山深いこの辺りではやっと梅が咲き始めたが、寒い日で朝から名残の小雪が舞っていた。

前年から通い慣れた流れはやや渇水であったが、餌のイクラへの反応は良く、釣果で魚籠びくが重く感じられたころ、いつも川から上がる目安の古い吊り橋が見えてきた。橋までのポイントでも数匹のコサメを釣りあげたが、いつの間にか吊り橋の上に黒い服を着た小柄な老人が立って私を見ているのに気が付いた。

私が橋のたもとに上がったとき、老人の後ろに黒い犬が従っているのが目についた。その犬をよく見たとき驚きで声が出そうになり暫く時が止まった。

私自身も高校1年生から有色の紀州猪犬を飼っており、また、子供の頃から大叔父に従って紀州各地で犬を見てきており、それなりには紀州犬に対する知見はあった。

その濃い黒胡麻の牝犬は片耳がやや乱れ若干の雑化は見受けられるが、やや小さく眼光鋭い「葡萄目」(※濃い茶褐色の目)と、触れれば音がしそうな黒胡麻の硬毛は紛れもなく古い血筋の紀州猪犬であった。

尺6寸(約48cm)程度の小柄な犬であるが骨量と筋肉は牡犬を凌ぐほどであり、体躯に残る猪による傷痕から百戦錬磨の風格が感じられた。

老人の姿は、古びれた黒い半纏を羽織り、継ぎ当てた乗馬ズボンに地下足袋という、当時としても時代遅れに感じられる出で立ちで、深いしわの顔貌にいかにも偏屈そうな細い眼が私を見ていた。

私は老人に「こんにちは」的な言葉を言ったと思う。

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