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自分の人生に、責任を持つこと

こんばんは!

ケミオです。


私の頭はまるで、寺にある鐘(梵鐘と言うらしい)のようです。

EMDRが終わってから、鐘をたたく木の棒(こちらは橦木と言うらしい)でガーンと叩かれたような感じが続いています。


幸い、体調はそこまで悪くありません。

しかし今回に限らず、EMDRの後にどんな反応が起こるかは、全く予想がつかない。

具合が悪くなれば辛いのはもちろんですが、この予測のつかなさが心の重荷になったりもします。


とはいえ、仕方のないことですが。

負担は少ない治療法とのことなので、受け入れるしかありません。


このような態度を、「腹を括っている」と言えるのかもしれません。

しかし、そのように言うと聞こえはいい一方で、もう色々嫌だと思うこともあります。

EMDRや治療そのものに対してというより、厭世的な感じです。

「いっそ、このまま早く死んでしまった方が楽かもしれない」なんてことが、頭をよぎることもある。


もちろん、そんな勇気はありません。

ここには気軽に書けるからといって、そんなことを気軽に書いていいこととも思いません。

ですが偽らざる気持ちとして、そんなことを思うこともあります。


今日は、こんなことを考えたりもしました。

「自分の人生に、責任を持つこと」。


アダルトチルドレンの私は、この感覚がまるでなかった。

どこにいてなにをしても自分が不在なので、責任の持ちようがなかったというのが、本当のところではありますが。


ですが、アダルトチルドレンの克服、ならびに複雑性PTSDの治療を行うのは、これを実現するためとも思うのです。


自分の力で頑張るのも、自分の責任で。

誰かに頼るのも、自分の責任で。


「責任」を強調すると重い感じになってしまいますが、「自分を取り囲む状況の中で、自分が取る行動や考えに、確固たる自分がいること」くらいのことをイメージしています。


まだまだ続きを書けそうですが、今日は早く休みたいと思いますのでこれで失礼します。


今日もお疲れさまでした!

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