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ソ連崩壊時から考えるウクライナ侵攻

先日まで、旧ソ連の最後の指導者であり、この8月に逝去されたミハイル・ゴルバチョフ氏の回想録「ミハイル・ゴルバチョフ 変わりゆく世界の中で」という本を読みました。
 
ご記憶の方も多いと思いますが、ゴルバチョフ氏は共産国家であったソ連の最高指導者として、民主化・経済改革をを目指したペレストロイカを進めながら、対立関係にあった西側諸国と「新思考外交」と言われる平和外交を進め、核軍縮を推進しました。
 
その改革姿勢は共産化されていた東ヨーロッパ諸国の民主運動を促し、1989年には東欧諸国の多くが民主化されました。91年には分裂した東西ドイツが統一します。
 
しかしながら、こうした改革姿勢はソ連国内の保守派の反発を買い、91年8月にクーデターが起こります。このクーデター自体は失敗に終わりますが、この後ゴルバチョフ氏は求心力を失い、91年末には70年近く世界の覇権国家の一翼であったソ連はあっけなく終焉を迎えます。
 
本書を読む中で認識を深めたのですが、実はソ連時代の末期、ゴルバチョフ氏はソ連邦内の各共和国、つまりロシア、ウクライナ、ベラルーシ等の自治強化を認めつつ、緩やかな連邦制に移行し、存続しようとしていたのです。
 
ゴルバチョフ氏は、各共和国の自治強化を認めつつ、連邦制を存続しようとしていた理由の一つに、ロシア以外の共和国にロシア人が多数いることをあげていました。各共和国内にロシア人が多数いる以上、連邦制でつながらずに各共和国が独立した国家となると、将来的にロシアと各共和国との間に紛争が起こることを懸念していたのです。
 
そしてソ連崩壊から約30年経過した現代。ロシアはウクライナ国内のロシア人保護を名目の一つとしてウクライナに侵攻し、その先行きは不透明感を増しています。また、このウクライナ侵攻をきっかけとして旧ソ連を構成した共和国においても、ロシアが侵攻することへの懸念が高まっています。
 
ゴルバチョフ氏の新連邦制移行が進んでいたらどうだったのでしょうか。歴史にイフはないものの、今この時代だからこそ改めて検証が必要だと思います。
 
また、そうした歴史からの検証を、今後の旧ソ連邦内での平和、また世界の平和に向けたフレームワーク作りにも活かしていくべきでは、と本書を通じて感じました。

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