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自分の行いは、どこかで報いを受けるもの

NHKの教育テレビに「100分で名著」という長寿番組があるのですが、時々興味がある本についてはNHKオンデマンドで観ています。今月取り上げられた本は、鎌倉時代末期から室町時代初期までを取り上げられた「太平記」でした。
 
私が17歳の時の大河ドラマが「太平記」でした。真田広之さんの名演技もあり、とても興味深く観て、今でもたまにNHKオンデマンドで観ることがあるほどです。しかしながら、本としての「太平記」そのものに触れていなかったので、今回の「100分で名著」は大変勉強になりました。
 
この機会に、と今週は角川ソフィア文庫のビギナーズクラシックスシリーズの太平記を読んでみました。
太平記に触れてみて一番感じたことは、「自分の行いは、どこかで報いを受けるもの」ということでした。
 
この摂理は太平記の中で様々描かれています。
・鎌倉幕府執権家の最後の当主、北条高塒。政治も省みず、放蕩の限りを尽くした報いは鎌倉幕府、北条家の滅亡でした。
・鎌倉幕府を倒し、建武の新政を展開しながら、足利氏に敗れ、吉野に逃れた後醍醐天皇。幕府打倒に尽くした武士に報いることなく、天皇家・公家中心の利己的な政治を行ったことが没落につながりました。
・足利尊氏と共に幕府を倒しながら、最後は足利氏との戦いの中で戦死した新田義貞。彼が一時期足利氏を追いつめながら、追いつめきれなかったのは、戦に出て美しい妻と別れることを惜しんだからだと言われます。
・足利尊氏の天下取りに功績がありながら、最後は足利家内の嫉妬・怨みを買い滅亡した高師直。彼はその権勢をかさに着て傍若無人な振る舞いを行ったことが、滅亡に繋がりました。
・足利尊氏の弟として室町幕府の創設に貢献しながら、最後は尊氏との戦いで滅亡した足利直義。彼も、後醍醐天皇の子供である大塔宮を殺したことが、その後の災難の発端のようにも思えます。
 
このように、太平記の登場人物達は、ことごとく「自分の行いは、どこかで報いをうけるもの」となっているのです。
 
しかし、ここで一つの疑問が私の中に生まれました。
「なぜ、なんら報いを受けるようなことをしていなかった楠木正成が滅亡し、北条家、後醍醐天皇と、続けて主君を裏切った足利尊氏が室町幕府創設者として繁栄したのか。」です。
 
確かに、リーダーシップもあり、軍略も軍神のごとくあり、大河ドラマ「太平記」で武田鉄矢さんが演じられた楠木正成は人格者そのものでした。そして、最後まで後醍醐天皇に忠誠をつくした楠木正成が滅亡しないといけなかったのか。なんら報いを受けるようなことをしていなかったのに。
 
私は、楠木正成は、確かに最後は湊川の戦で敗れたものの、後世にて絶大な評価を受けることにより、その生前の行いに対して報いられたのではないかと考えました。つまり、その人格、その行いは、たとえ滅亡することがあったとしても、後世での高い評価として報いられたのです。
 
一方の足利尊氏。私は足利尊氏にも一定のリーダーシップ等があったからこそ武士をまとめることができたと思っていますが、それでも二つの主君を裏切ったという史実は残ってしまいました。
それは、特に戦前までは「逆賊」という不名誉な評価となります。つまり、その行いにより繁栄したとしても、後世では低い評価として報いられたのです。
 
私達は生きていると、自分の行いに対して直接何か問題が発生しなければ、問題なかったかなと思いがちです。しかし、太平記は、自分の行いにより、それに対して直接でなくても、どこかで報いを受けるものだと思いながら生きた方がよいのでは、と感じさせる一冊でした。

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