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タカ派な人物が平和路線を取ると上手くいきやすい歴史の皮肉、不思議

今、8月に亡くなられたミハイル・ゴルバチョフ氏の自伝「ミハイル・ゴルバチョフ 変わりゆく世界の中で」を読んでいます。この本はとても面白く、全体についてもまた書いてみたいと思うのですが、
 
前半部分で、アメリカの大統領レーガン氏がゴルバチョフ氏とともに積極的に冷戦終結に向けて取組み、成功していった話が興味深いものでした。
 
レーガン氏と言えば、当時のアメリカ政界の中でもタカ派として知られており、それよりも右の人はいないと言われるほどの反共産主義でした。
 
そんな人が冷戦終結に向けて動いたことは、核戦争への恐れや、軍拡競争の限界、ゴルバチョフ氏登場によるソ連の変化等々が背景としてあったと思います。
 
そうした背景があったとしても、タカ派として国民の支持を得て、大統領までになった人が、大きな政治的批判を受けることもなく、冷戦終結、つまり平和に向けて動き、そして成功したことは、とても奇異なことのようにも感じそうです。
 
しかし、歴史の中では、意外とこうした「タカ派だとされてきた人物が平和に向けて動くと上手くいきやすい」ということがしばしば見られます。(もちろん、プーチン氏のようにタカ派の人物が、そのまま戦争に突入するという、ひねりも何もないことも多いですが。)
 
なぜそのようなことが起こるかですが、私は次のように考えています。
 
もしハト派と言われる人物が、敵と平和に向けた話し合いを始めたら、ハト派の中では賞賛されるかもしれませんが、タカ派と言われる人物達からは、「何と弱腰なんだ!」と責められやすいものです。
 
しかし、最もタカ派の人物が、敵と平和に向けた話し合いを始めたらどうなるのでしょうか。タカ派の中で批判される、ということもあるかもしれませんが、最もタカ派の人物であれば、「あの人物が平和に向けて取り組むのであれば仕方がないか」ということが少なくないように思います。
加えてハト派は元々平和を望むものですから、この動きに賛同することこそあれ、批判することはありません。

 
結果として、少し歴史の皮肉でもあったりするのですが、タカ派の人物ほど平和に向けた取組みが成功しやすく、ハト派の人物ほどうまく行かないことがしばしば見られるのです。
 
もちろん、上記の事象は一つのパターンであり、その状況により違うパターンも当然あります。
ただ、上記のパターンは、平和や協調を実現するという最終目標を実現するということにおいて、多少テクニック論も含めて考えさせられるものです。

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