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仕事に活かせる中国古典

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数千年の風雪に耐え、今なお世界中で評価されている中国古典。現代を生きる私達が「よい仕事」を取組むにあたり、どのような中国古典の教えが活きるのかご紹介できればと思います。
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#どうする家康

方向が明確だと経営はなぜうまくいくのか

経営の中で、「とにかくまずはやってみよう」と見切り発車していることはありませんか。そんな時には、中国の昔の兵法書「孫子」のこんな一節を思い出して欲しいのです。 「勝兵はまず勝ちてしかる後に戦いを求め、敗兵はまず戦いてしかる後に勝ちを求む。」 (勝利の軍隊というのは、まず開戦前の検討段階で勝ち、その上で実際の戦争に勝つ。逆に、敗北の軍隊というのは、入念な事前計画もなく、とりあえず戦ってみて勝ちを求めようとする。) この一節、大河ドラマ「どうする家康」の三方ヶ原の戦いでも

麦飯を食べ、風に飛ばされた紙を追いかけた徳川家康

「君主たる者はなによりもまず人民の生活の安定を心掛けねばならない。人民を搾取(さくしゅ)してぜいたくな生活にふけるのは、あたかも自分の股の肉を切り取って食らうようなもの、満腹したときには体のほうがまいってしまう。 (中略)わたしはいつもこう考えている。身の破滅を招くのは、ほかでもない、その者自身の欲望が原因なのだ、と。いつも山海の珍味を食し、音楽や女色にふけるなら、欲望の対象は果てしなく広がり、それに要する費用も莫大なものになる。そんなことをしていたのでは、肝心な政治に身

になうものは重く、道は遠い

曾氏いわく、「子はもって弘毅(こうき)ならざるべからず。任重くして道遠し。仁もっておのれが任となす。また重からずや。死してしかして後やむ。また遠からずや。」(論語、奏伯第八) 「学に志す士は心がひろくつよくなければならない。になうものは重く道は遠い。仁を自分の荷として負うのだ、重くならないはずがあろうか。仁を背負って死ぬまで道を行くのだ。なんと遠い道であろうか。」 この一節は、戦後の東京裁判で唯一、文官として絞首刑となった広田弘毅元首相の名前のゆらいとなっているものです。