見出し画像

私の暦(1) 本当に「明けましておめでとう」?

「明けましておめでとう」と言葉を発することにとても違和感を感じ始めたのはいつからだろう?

違和感を感じてから、年賀状もやめた。
最近は言葉に出すことも、文字で書くこともやめた。

この違和感の元はどこから来たのだろう?
ひとつは旧暦からグレゴリオ暦(新暦)へ切り替わったこと。

明治5年12月2日(旧暦)の翌日が明治6年1月1日(新暦)となった。
ということは日本には明治5年12月3日~31日の29日間が無い。
当時の官僚には年末ボーナスが支払われ無かったとのこと。
それで「おめでとう」は無いだろう。

旧暦の時代は、毎月(まいつき)1日(ついたち、朔日)は新月、つまり月が見れない。この日から1月(ひとつき)を掛けて、月が満ち、月が欠けるスタートの日だった。毎月毎月、月の姿と日にちがリンク/連動していた。新月をスタートの日に選んだのは納得できる、感覚的に。

では1年の始まりはどこのポイントにすれば良いか?

太陽からの届くエネルギーが一番少ないのは冬至、北半球では。
冬至を1年の起点にするのが良さそうだ、北半球では。
縄文時代の人も、冬至の存在を知っていたとの説がある。青森の三内丸山遺跡に残る柱跡が冬至の日の太陽が昇る方向を示しているとか。但し、3度ほどズレているようだが。

で、旧暦を作った人たちはいつに設定したか?立春でした!
冬至から黄道上を太陽が45゚移動した日、約45日後。
陰陽五行の5要素、木火土金水(もっかどごんすい)の内、唯一「命」があるのが「木」だから、命が芽生える春からスタートすることにしたようです。確かに、梅の蕾(つぼみ)が目につくころだものね、分かる。

2022年⇒2023年への年替わりの場合の、太陽黄経と新暦、旧暦の関係を確かめておきましょう。

太陽黄経 新暦 旧暦
270゚冬至 12/22 十一月二十九日
280゚   1/1  十二月十日(新暦の元旦)
301゚   1/22  一月一日 (旧暦の元旦)(立春-14゚)
315゚立春 2/4   一月十四日

30年に一度ほど、立春=元旦になるそうです。ざっと調べたところ、旧暦の立春は十二月か一月にあります。年によって、元旦と立春の順番が変わるんですね。戸惑う。大体同じ1ヶ月以内の時期あるから、「まっ、良いかっ!」て感じだったんでしょうか。

今は、世界中ほぼグレゴリオ暦(新暦)が利用されています。
世界共通という意味では、何かひとつの暦を決める必要あるから、その存在理由はありますね。でも、おめでとう!の対象かは疑問。単にイベントの為、商売のための元旦になってしまっているからでしょうか。根腐れしたイベント、根腐れした商売ってイタダケナイ。

旧暦、月の運行と連動しているところが良いが、元旦のブレが気になる。何に対するブレか?黄経に対するブレです。

こうなると個人の暦をどうするかってことですね。
私の場合なら、

・冬至を「0」とした黄経
(便宜的に、冬至・春分・夏至・秋分からの日数で表現している。)
(例えば、今日2023/01/12は「冬至+22日」。)
(冬至・春分・夏至・秋分から+45日で、ほぼ立春・立夏・立秋・立冬です。)
・月齢(旧暦の「日」の部分を利用)
です。2022年の秋分あたりからこの暦を、新暦と旧暦を併記してあるカレンダーに、例えば「秋分+◯◯日(記入は「A+◯◯」、AはAutumnのA。)」を書き込んで、太陽の動きや月の動きを意識するようにしています、時々。「月/日」よりも「秋分+◯◯日」の方が、季節の移ろいを感じます。

季節ごとに、繰り返す出来事(例えば、ストーブ(具体的にはガス・ファンヒーター)をシーズン最初に点けた日)を記録する時、新暦・旧暦とともにはも書き留めておくと、太陽の位置をイメージしやすい。例えば今日「冬至+22日」ならほぼ冬至黄経270°+22°=292°と暗算できる(ネットで計算すると今日正午の黄経は291.3055°となる。0.6945°の誤差)。

これから新暦で「あけましておめでとう!」と言われたら、どう応えましょう?
新暦を無意識に使っている人に、新暦を意識してもらおうと思います。

「新暦の元旦(/1月/正月/1年)ですね。今年も根腐れのない年にしたいですね、互いに。私は1年の始まりを冬至にしてるんです」と応えようか、・・・。
ちょっと過激か!説明ぐだぐだとするのも面倒。

「新暦の元旦(/1月/正月/1年)ですね。悦(よろこ)ばしい1年にしましょう!、互いに。私は1年の始まりを冬至にしてるんです」。
あっ、これにします!!

暦って、統治や支配の1手段として使われた部分があると思います。
どんどん統一していって、グレゴリオ暦(新暦)まで来てしまった。
そして、新暦が金権資本主義を支えた一面もあるのでしょう。

でも、そろそろ文化や、個人的感覚をねじ曲げてしまいかねないグレゴリオ暦(新暦)とは一定の距離をおいて、個人個人が色んな暦を併用したり、個人の暦を創り出す時代になったような気がします。

みなさんなら、新暦以外にどんな暦を併用しますか?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?