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「なくても」を「あっても」に変えていく

あってもなくても。
わたしが子どもたちとのことを綴りはじめた時の、タイトルだ。
5年以上前から、少しずつ日記を書き始めた。
アメブロやインスタに少しずつ。
日記は最初、子どもたちのことを自分自身が客観視したり、自分の心の整理だったりできるかな?と思ってはじめようとした。
だけどある日、いつもわが家のことを話していた友人から
「めっちゃ、おもしろいよね。普通じゃ考えられんよ。ネタがいっぱいじゃねえ。」と笑いながら言われて、
そういえば、、、。と辛いこともあるけど、普通では体験できない子育てを
体験させてもらってるかもしれないと。
少しずつ、思考がポジティブに変換していったのだ。

 日記を書いてみよう。

辛いことだけを書くのではなく、ちょっとありえないわが家のできごとだったり、自分なりに発達障害のことを勉強した気づきだったり。
子育ての工夫だったり。
書くことで、私自身が、前向きになって、子どもたちと楽しくすごせるような
そんな日記を綴ろう。
 
 それが、「あってもなくても」
を書きはじめるきっかけだった。

「あってもなくても」の言葉には
発達障害があってもなくてもみんな変わらない。
辛いことがあってもなくても日々はすぎていく。
子どもはみんなおんなじだ。
という思いがある。
「なくても」は辛いこと。マイナスなこと。
「あっても」はおもしろいこと。プラスなこと。
2つのバランスをとりながら、日々すごいしてる自分に、書きながらきづいていた。
それが、今もnoteに綴っている
発達凹凸さんの子育て日記
「あってもなくても」だ。

 わたしの夢。

 やりたいことは、この「あってもなくても」の思考を一人でも多くの人に届けること。

去年の9月。
はじめて「あってもなくても」のお話会をさせてもらった。
子育ての日々や、自分自身のこどものときのこと。
上の子の発達障害がわかってから、10年間は苦しんでいたこと。
そこから子育てを、二人の凹凸さんのと日々を楽しむことを見つけた過程を話させてもらった。
  聞いてくださったお母さんたちや、進行してくれた友だちのけいちゃんにも、わたしの思いが伝わったお話会だった。
 
 発達障害は、子どもたちそれぞれ、全く違っていて、その子その子をみつめないと向き合うのは難しいと思う。
 だけど、子どもたちの素敵な世界観に触れられることは、すごく幸せなことだし、わたしのところに来てくれた「意味」をわたしはずっと考えつづけたいと思う。
 夢を考え続けて、ここに書き綴ることを続けていく。
 読んでくださった方が、
あってもなくても いいんだよ。
それでいいんだよ。
って思える日が増えますように。

 






#かなえたい夢

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