「PHRにデザインを」という切なる願い
PHRという理想の未来
こんにちは、株式会社CureAppでデザイナーをしています、精神科医師の小林です。
PHR(Personal Health Recording, Wikipedia)というものに以前から関心を寄せています。さまざまなデバイスを活用して個人の健康に関するデータを集約し、医療や健康管理に役立てようとする試みで、一般企業による開発だけでなく、数年前から国家戦略としてもインフラ整備が進んでいます。
ビッグデータやAIといったモダンなキーワードと相性がよく、健康データを適切に活用すれば、医療の未来を素晴らしいものに進化させる多くの可能性を感じます。実際、マイナポータルを活用した健康情報の管理も2021年からすでに始まっています。
しかし、じゃあPHRを使って具体的にどうしたいのか?が全然見えてきません。マイナポータルのユーザビリティはストレスフルで使う気になれず、実際の診療で活用するシーンも特に見当たらないのが医療に携わる一国民としての実感です。
調べるほどにデザインの課題は多く、PHRをデザインすることの難しさも見えてきました。このままでは電子カルテ以上に悲惨で取り返しのつかないプロダクトになりかねない、そんな心配を書き綴っていきます。
本質的な価値を共有できているか?
「PHR(Personal Health Record)サービスの利活用に向けた国の検討経緯について」という資料を読んでみました。
たとえばこのスライドで、WHAT(なにを)とHOW(どのように)についてはこまごまと書き連ねられていますが、WHY(なぜ)についての文章が見当たりません。せいぜいあるとしたら最上段のこの一文でしょうか?
今後、保健医療分野では、予防・健康増進の重要性が高まるとともに、個別化されたより効果的な介入等への期待が高まっている。
この「誰かがそう言ってるらしいのでやってますよ」感…。
WHATとHOWだけで作られたプロダクトを喜んでくれるのは新しもの好きのニッチなユーザーだけで、その人たちも自分の好みに合わなければすぐに離れていってしまいます。
WHYの部分「なぜPHRを推し進めなければいけないのか?」「PHRが社会全体に実装されることでどのような新しい価値が生まれるのか?」が明確でなければ、まともなデザインを始めることすらできません。
さらに「PHRによりどのような豊かな未来がもたらされるのか?」(VISION)と「その実現のために何をすればいいのか?」(MISSION)も定義していかないと、長期にわたるプロジェクトにブレが生じてしまいます。
これはプロダクトマネジメントの基本的な考え方ですが、対象ユーザーが一部の患者ではなく老若男女すべての国民であるため、広く誰もが納得する表現はとても困難です。
しかし、できるだけ多くの人が共感できるシンプルで力強い価値を提供できれば、長く支持してくれるユーザーを確実に増やすことができます。
ユーザーニーズを理解しようとしているか?
医療者、患者、健康な人すべて含めて「個人の健康に関するデータにどこまで関心があるのか?」という疑問があります。
たとえば、妊婦健診のデータはとても有用です。緊急事態のリスクが高く専門家どうしの迅速なコミュニケーションが求められるため、少しでも多くの情報を即座に把握できることで救える命があると考えられます。
また、難病で治療を受けている方が旅行先で救急受診した際も、できるだけ多くの情報が役に立ちそうです。
一方で、なんの基礎疾患もない健康な人の日常生活データは医療機関でなんの役に立つでしょう?たとえば心拍数、活動量、体重、食事内容などを丁寧に記録できている人がいたとして、健康診断で活用したいと思う医療者は存在するのでしょうか?口頭や紙の質問紙で「生活内容はどうですか?」と聞くだけではダメでしょうか?
AIと組み合わせてスマートフォン内で健康評価を完結させるのはひとつの手段ですが、それは医療機関を排除したまったく別のビジョンです。
さらにいうと24時間365日生活データを正確に記録できる人はおらず、必ず多くの欠測が生じます。アップデートでアルゴリズムが変化すると同じ情報でも別のものになってしまい、正確な統計という観点からも意外と扱いが難しいです。
そしてPHRを取り入れることで、医療オペレーションの利便性は上がるのでしょうか?誰が見ても明らかな効率化ができるのであれば文句はないですが、診察のオプションが増えることで手間は確実に増えるのであれば、それ以上の有用性がない限り使いたくありません。
また医療機関の現状維持バイアスは非常に高く、オペレーティングシステムが変わることには強い抵抗を示します。実際に紙には紙のよさがあり、スタンドアローンにこだわることにも理由があります。
PHRを記録する立場に立っても、単純に血圧や体重を測定することはめんどくさく、記録を振り返って自分の健康管理をするような意識の高い人も少数派です。みんなそんなに暇じゃありません。
こうした現場の実情をできるだけ理解し、なにが導入の障壁になり、どのようなデザインにすれば受け入れられるのかを徹底的に洗練させなければいけません。中途半端に強制導入をすると、現場判断でグチャグチャにカスタマイズされた泥臭いプロダクトが乱立することになります。
いまだにマイナポータルにいちいちカードを読み込ませなければならない時点で、絶望的に遥か後方からのスタートなんじゃないかととても心配です。
取り返しのつかない事態を想定できているか?
かつて電子カルテはインターフェースや仕様のデザインをサードパーティに委任したため、医療機関どうしでのコミュニケーションが非常に困難な状況に直面しました。これが取り返しのつかない事態です。
また、電子カルテの複雑極まりないバッドデザインを現場のスタンダードにしたため、すべての医療者はそのデザインで毎日トレーニングされてしまい、一般的な使い勝手のよいインターフェースへの移行が受け入れがたくなってしまいました。これも取り返しのつかない事態です。
電子カルテが導入された1999年当時にユーザー理解から始まるデザインの思考を求めるのは酷な話ですが、今はもう2023年です。数値ノルマだけを追ってデザインをおろそかにするとどうなるか、歴史から多くの後悔を学ぶことができるはずです。
今後はAIの劇的な進化により、DXそのものが予測不能な進化を遂げることが想定されています。それらをどこまでキャッチアップし、医療業務の質を高められるかも大きな課題です。
確固たる基盤と柔軟なUXデザイン。規制が厳しく改良のハードルが高い医療機器でどこまで優れたデザインが可能か?初手から間違いが許されない非常に難しい課題に感じます。
ヘルスケアの将来がかかる重要なデザイン課題
いろいろ書いてきましたが、PHRは上手く活用すれば個人が自分の健康状態を客観的に評価し、自然な行動変容をもたらすポテンシャルの高いインフラだと思っています。
ただし、医療と絡めようとすると市民の日常生活と医療機関の日常業務に密に介入するプロダクトになるため、開発も普及も非常にハードルが高いプロジェクトです。
よさそうなものを作って適当にバラまいたらみんな素直に使ってくれる、それは高度経済成長期の発想であり、情報とモノに溢れ選択の自由に慣らされた私たちに同じものを同じように使わせることは非常に大変です。
既成のやり方を熟知したうえでいったん放棄し、デザインやIT、ビジネスなどの新しい発想を柔軟に取り入れながら作らなければ、まず間違いなく残念な結果になると思います。
デジタル庁や東京都などでデザインの機運が強く高まっているのは、現代に即した大事な流れでしょう。PHRだけでなく、医療インフラにもっとデザインの発想が取り入れられれば、いくらでも改善の余地があると思っています。
そのためにまずは、医療の中と外からデザインへの関心を高めていく必要があります。
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