『許す』ことは最強のお手当て
旦那さんはチョコパイが最っ高に好きなので、高級チョコなどを贈ったら、期待外れの反応にたぶん私がショックを受けます。
どんなに好きなのかというと、辛ラーメンよりも日課にできるくらいです。
辛ラーメンはうちの鍋に欠かせないものです。
なべ→辛ラーメン→チーズリゾット
これが、最強の13日の日曜日メニューです。
それよりチョコパイのほうが好きらしく、両手に抱えてみんなに配ったりします。ほとんど感情を出さない人なのに、ニコニコしています。
そんなこんなで、私は旦那さんの母、姑と同居20年になろうとしています。
本日の内容は、女の一生(昭和編)だと思って読んでいただいてもいいと思います。
日付はバレンタインデーを過ぎましたが、遅すぎということは、ありません(笑)。
バレンタインにふさわしい甘い魔法をあなたに。
生きてると茶番劇もありますよね。
女子ですから。
今回の法事は亡き義父の23回忌で、姑主催で行われました。舅は7年の闘病の末、亡くなり、このことを機に姑との同居が始まったのです。
別に問題?というほどではないのですが”私”が遭遇する成長課題のひとつが、”嫁姑問題”ですので、本日の記事が”恋愛モノ”だと思われてしまった方には申し訳ございません。
期待されていなかった、または、お時間ある方はお付き合いくださいね。😘
嫁と姑という関係は、ジェネレーションギャップのせいもあって、たまにモヤモヤしたりキリキリしますが、正解などなく、旦那さんはなーんもわかってない?!子どもたちはいい迷惑!!というのが、現実でしょうか。
このご時世ですので、集まったのは本当に家族だけ、お寺さんに読経いただいて、無事終えることができました。
近所に住む本家の伯母様へ知らせたのは全てを終えてからでした。供え物のお下がりを届けに行く際、家族のみでとりおこなったことと伝えましたが、この義理嫁同士という関係の、本家の伯母様と姑は、いつもいつもケンカになるのです。
私がケンカだと思っているだけで、当人たちは大きい声で押し問答しているだけ、アクティブな再会を楽しんでいるのかもしれません。
お供えを受け取れない姑と、どうしても供えてほしいという本家の叔母のバトルです。
もう動画でも撮ろうかと思うくらい、滑稽で、真剣です。
「なぜ本家の私に、知らせてくれないのか」と、涙ながらに訪ねてこられ、私は家の中へ案内しましたが、反対に姑の顔は完全に固まっていました。
舅のことを偲んで、会話しているのかと思いきや、あれをしてやったこれもしてやった、人は見ていてくれた、、?話が変わっていきました。
そのまま“お供え“の袋の押し戻しを数十分間繰り返して、せめて一晩置かせて、、というよくわからない状態で姑が折れて、明日には私が本家に返しに行くというーーー事態になったのです。
さあ、なんのこっちゃと思われますよね。
書き方がわからなくてこんなことになりました。文才がないからなのか、理解に苦しんでいるからなのか。
私はこういうとき、子どもたちの顔を思い浮かべます。
私も子どもの頃、父母と祖父母との生活のはざまで色々な葛藤を見てきました。
ただお母さんの悲しそうな顔や、しんどさが嫌でした。
おばあちゃん子だった自分が許せないという事態に陥った時期もありました。
子どもたち(わたし)は、家族みんなが好きです。
みんなが幸せな顔でご飯を食べていたら、自分がいることを、素直に喜べるんです。
大人になるにつれ、事情を理解できてくると同時に、自分のことだけでも肯定できるようになれぱいいけれど、家族が嘘で固まっていたら、なかなかそうは行かないでしょう。
子どもにとって母親の感情が、バレバレなのはよくわかります。
それでも家族は、結局同じ目的を持って集まった魂なんだろうなーと、許せる自分になりました。なるようになっていきます。
この年配者たちの“正しさ“みたいなものが、本当に漫才ネタに思えてしまうのです。
いけない、叱られちゃう。。ナイショよ。
五千円ほどのやり取りです。
お金というのは、厄介ですね。
これが100円ならどうでしょうか。
100万円なら絶対受け取りたいですよね?
ネットでも検索すれば、妥当なところが出てきます。気持ちよくやり取りしませんか。
過去に何があったか、なかったか。
きっとあったんですよ。
ご先祖様に聞いてみたいけど、きっとあちらで御先祖様と舅は、見ていますよね。
元気にやってるなー!!
まだこっちに来ないのか。ザンネン!!
ふたりとも、いつでも仲良く来ていいんだよって。言ってます。
私も両親が向こうにいて、共に呼んでくれてる気がすることがあります。
お茶を用意してると思うのです。
いけないかしら。
子どもたちは、お母さんは、また変なこと言ってふざけてると思っているかもしれませんが、私は何かを守るとしたら、家ではなく、子供の心を守りたいのです。
愛する人が、呼んでくれているのに、そっちには行きたくない、と元気さをアピールしているひとは、きっと心配しなくても50回忌まで出来ます。
たまに肺炎を起こす姑が、やはり年をとったんだな〜と感じて寂しくなりますが、こんなふうに元気でいるときは、とことん放っています。
私へのお小言にぷちっとキレていた若い頃とは、私も違うんです。(笑)
タイムマシンがあったら、以前の自分に言ってみたいことがあります。
ケンカしてもいいよ、と。
あなたは成長するよ。
そして家族を幸せにできるよ。
ただ気付くだけなんだから。
昭和のお母さんは頑張りすぎるくせがあると思います。
心に蓋をしてそのことに気づいていないのです。
どうしてやってもやってもだめだと感じてしまうのか。
お父さんもそのことで本当は傷ついています。
“家社会の掟を守れば幸せになれる“
まやかしはどっち?
子どもの顔はほんと正直ですね。
だんだんに人は変わっていけるけれど、中には変われず苦しんでいる人がいるかもしれません。
小さなことから気づいたり声をかけたりしていくと、そのうち向こうからイイコトがやってきます。
赤い月でした。
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