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ボルドーワインの誤解  「ぼくらは権威とブランドに金を払ってる」

新年早々つっこんだネタからお送りします、あけましておめでとうございます!

ぼくがボルドーワインのバイヤーをしていた頃からよく耳にした台詞。
「ボルドーワインはテロワールじゃないんだ、金に物言わせてワインつくってるんだよ」
今日はこの台詞の真偽を問う形で、ボルドーというワイン産地を深掘りしていきます。

(今回は専門的な内容を多く含みます。用語の説明も割愛します。ご了承ください)

ボルドーは、よくブルゴーニュと比較されます。
「ブルゴーニュは畑に根ざしていて、ボルドーはそうではない。ほら、格付けシャトーはどんなに畑を増やしても、格付けを名乗り続けることができるだろ」と。
そして「ボルドーワインはテロワールじゃないんだ、金に物言わせてワインつくってるんだよ」と。

この見解には、正解が半分、誤解が半分あります。

原産地呼称と格付け

まず、ボルドーの代表的な格付けである「メドック格付け」に選ばれたシャトーが、格付け当時の畑とは違う場所に畑をつくり、ワインを作ったとしても、それを格付けシャトーのワインとして名乗ることはできる。これは事実です。

しかし、2つの誤解があります。

1つ目は、比較するカテゴリーをそもそも間違えていること。ブルゴーニュで議論されるのはプルミエ・クリュ(1級畑)、グラン・クリュ(特級畑)という原産地呼称に基づいた畑の区分なのに対して、ボルドーで議論されるのは原産地呼称ではなく固有の格付けである、ということです。

つまり、原産地呼称で比較するなら、ブルゴーニュが例えば「AOCシャンボール・ミュジニー・プルミエ・クリュ」なのに対して、ボルドーは「AOCポイヤック」や「AOCマルゴー」といった名称が比較相手となります。

そして格付けで比較するなら、ボルドーは固有格付け有り、ブルゴーニュは固有格付け無し、という比較になります。

だから格付けシャトーであっても、原産地呼称が保護している境界線を超えた畑からブドウを調達することはありません。そして原産地呼称が指し示すワインのスタイルを逸脱することもありません。例えばシャトー・ポンテ・カネのセカンド・ワインである「レ・オー・ド・ポンテ」2012年ものは、委員会の官能検査で「ポイヤックらしくない」とAOCポイヤックを名乗れなくなりました。メドックの村名アペラシオンにもこのような厳格さが備わっている証拠です(なぜレ・オー・ド・ポンテ2012がポイヤックらしくないと言われたのかは未だ謎ですけどね)。

そして2つ目の誤解が、「金に物言わせてワインを作る」というところです。

正直に言えば、ぼく自身もそういう偏見をもってボルドーワインを見ていた時期がありました。「お金かけたら、そりゃ良いワインつくれるんでしょうよ」と。それが大きな間違いだと気づいたときに、初めてボルドーワインの魅力にどっぷりとつかれるようになりました。

ということで、少し熱を入れてお話ししたいと思います!


お金をかける≠金に物を言わせる

とその前に、ここからはボルドーと一括りにするのはあまりに不公平なので、「メドックやサン・テミリオンなどのトップクラスのシャトーたち」に限定してお話しします。

※ボルドーにはおよそ7000ものワイナリーがありますが、いわゆる格付けに選ばれているのはメドックで61、それ以外でせいぜい150程度

さて、彼らのワインづくりにお金がかかっている、それは事実です。
その資金を賄えるような裕福なオーナーがバックにいることも多いです。名だたるシャトーたちの現在のオーナーは、保険会社や銀行、世界的ファッションブランドの会社や建設会社だったりと、とにかく錚々たる名前が並んでいます。

ボルドーは歴史的にも、教会や貴族といった特権階級がシャトーのオーナーを務めていたので、その流れを汲んでいる部分も多かれ少なかれあるようです。腐っても鯛、ではありませんが、歴史的・文化的価値のあるワイナリーが安売りされるとは考えにくいですよね。

かつてのオーナーは特権階級だった、それが今はビジネスで成功した裕福な者たちに代わった。この事実に対して批判的になりたくなる気持ちは、よく分かります。ワインは土を触り、ブドウを潰してきた者の作品ではないか、と。

でも、よく考えてみてほしいのです。

お金をかければ、それだけで本当に良いワインができるのだろうかと。

畑に立ち、天候の変化やブドウ樹の健康状態に目を配る人はいらないのかと。

ブドウの成熟度を見て、いつ収穫すべきかを判断する人はいらないのか。

その年のブドウの出来を見て、プレスの具合や、発酵温度、その長さ、醸しの工程、ブレンド比率などを決める決定者はいらないのか。

お金は、あくまで素晴らしい作品をつくるための資金でしかないのです。

ボルドーワインは世界中にたくさんのファンがいて、毎年新しいヴィンテージを楽しみにしています。その期待に応えられるだけの大量のワインを、シャトーのスタイルと品質を維持しながら作り続ける責任をシャトーらは背負っています。

世界中のファンの期待に応えるためには、大量の人員、手間のかかる栽培、適切な温度管理と衛生管理、広大な貯蔵スペースなど、とにかくお金がかかります。

お金を投じたから良いワインができるのではなく、良いワインをつくろうと思えばお金がどうしても必要になるのです。


ボルドーは海外の大物アーティスト

さらに、ボルドーをはじめ世界的な名声を誇るワイナリーにおいて、ワインづくりの「重要な意思決定」に携わる人(醸造責任者)の知識、経験そして感性に頼る部分は大きく、それに応じてその人へのプレッシャーは大きくなります。

ワールドクラスのワイナリーの場合、ワインの個性を決める重要な判断は、本当に優秀なワインメーカーしか行えません(高い給料をもらうに値する仕事をしています)。

つまり、最先端の設備、技術を使ったとしても、人を魅了するワインを作れるのは、やはり人の感性であり、人の判断なのです。それはボルドーも例外ではありません。

少人数でつくるワインは、その人の個性がたっぷりと詰まった、味わい深いものです。例えるなら、シンガーソングライターの路上ライブみたいなものでしょうか。

それに対してボルドーのトップシャトーのワインは、世界中の愛好家を魅了する素晴らしい感性をもった造り手と、彼ら/彼女らを支える大勢のサポートスタッフによって生み出される、メジャーアーティストによるスタジアムコンサートです。

どんなに最先端の映像技術や照明を使ったとしても、肝心のアーティストが良くないとコンサートは面白くありませんよね。それと同じではないでしょうか。

ただでさえ日本はフランスから遠く離れていて、ワイナリーの中にいる「人の存在」を感じることは難しいものです。顔の見える関係から最も遠い場所にある産地がボルドーかもしれません(笑)。ですがどのワイナリーにも確かに人がいて、そしてみな全力で戦っています。縁の下の力持ちさんたちの存在を思いながら飲むボルドーというのも、また面白いのではないでしょうか。



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