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閉鎖的なワイン業界にドロップキック(したい)

日本のワイン業界はもっと開かれたものにならなくてはいけない。
この10年で、ずいぶんワインを取り巻く環境は変わった。フランス一強の時代は終わり、世界中のワインが楽しめるようになった。いたるところにワインを取り扱う飲食店があるし、若いソムリエたちは広い視野でワインを俯瞰するようになった。
だが残念ながらそれはまだ一部のことで、全体には浸透していないのが現実だ。

SNSを通じて散見されるのは、20年前と変わらない権威主義的な側面だ。インフルエンサーと呼ばれる人たちは、「ワインはだれでも楽しめる!怖がらないで」と謳う一方で、一部の人間しか手に入らない希少ワイン、高級ワインを誉めそやし、ワイン通と呼ばれる人たちの言葉を鵜吞みにさせている。「〇〇を知らずしてワインを語るなかれ!」と叫ぶYouTuberを見て暗澹たる気持ちになった。価値観がこの20年でまるで変っていないじゃないか、と

少なくともぼくのフランス人の知り合いで、「シャトー〇〇を知らないなんて君は業界の人間かい?」などと言う人は一人もいない。

ワインの世界は広大で、一括りにすることはできない。
地元でつくられるデイリーワインを水のように楽しむ人もいれば、記念日に少し奮発して高級なワインを開ける人もいる。だがそれはどちらも「ワイン」だ。それは日常的に着るTシャツやパーカーを、一生に一度の晴れ舞台で着るドレスと同じ「服」で括ることと似ている。

「高級なワインが美味しいとは限らない」
これはよく言われるセリフだが、あながち間違っていないと思う。
ワインをつくるうえでのコストには、ある程度上限がある。どんなに人を雇い、最新鋭の設備を入れて、収量の少ない厳しい環境でブドウを育てたとしても、それだけが1本10万円の理由にはならない。
そしてコストをかければ美味しいワインができるとも限らない(残念ながら)。ただ、低価格ワインは別だ。1,000円を下回るワインには、「美味しくつくる」ための技術以上に「安く(大量に)つくる」ための技術が必要となる。作り手が自らの目指す味を実現できて、さらに持続的であるためには、ぼくの感覚では小売価格2千円以上を目指すべきだと思う。もちろん産地によって違うが、店頭で探すなら2千円から1万円の間が最も個性的で、人間臭くて、面白いワインが多い。
さらに言えば、美味しいかどうかなんて、人それぞれ違う。元も子もないけれど。
だから高級ワインが「高い」理由はもっと別のところにあるわけだが、だからといって高級ワインが「ワインとして別次元のもの」であるわけではない。どのワインにも、同じように作り手たちの愛がこもっていて、たくさんの汗が染みこんでいる。現在高級ワインともてはやされているワインたちも、かつては普通のワインだったのだ。世界的に人気が出て、富裕層が愛飲するようになれば、価格が上がるのは当然のこと。

価格とは、あくまで主観的なものである。
ぼくはワインの仕入れをしていた頃から、この言葉をずっと言い続けている。総資産10億円の大富豪が、1本10万円のワインを毎晩飲んでいても決して違和感はない。反対に、お酒を飲まないぼくの両親からすれば、2千円のワインは大変高価な代物である。そもそも嗜好品であるワインやお酒を買えること自体贅沢なことだと思う。とにかく、ここでは自分のものさしで測れないからといって怖がることはない、と言いたい。

ボルドーといえば格付け、というイメージは強い。
たしかに格付けシャトーたちがボルドーワインの権威性を保ち、品質向上に大いに貢献してきたのは紛れもない事実だ。
だが現在の格付けシャトーたちは、決して気軽に買える価格ではない。かつて英国では、「週に一度は格付けシャトー、月に一度は1級シャトー」が買えるのが中流ワイン層の楽しみだったそうだが、今それを再現しようものなら毎日の食事はパンと水だけになるだろう。
アイコン的存在ではあるが、必ずしもみんなが「飲むべき」ワインではない、とぼくは思っている。

ブルゴーニュも然りだ。
ソムリエ教本には特級畑の名前が網羅され、全て覚えよと促されるが、生産量はブルゴーニュ全体のわずか1%に過ぎない。こちらももはやアイコンでしかない。現場のソムリエたちにとっては、マコネー地区やボーヌのワインの美味しさを伝える技術のほうがよほど現実的だと思う。

ぼくは常々、ワインには飲む楽しみと学ぶ楽しみがある、と言っている。
そのためには、まず「ワイン」そのものに対する偏った見方を捨ててもらう必要がある。
ワインの世界は広大で、産地それぞれで味も背景も全く違う。
その多様性こそが、ワインの面白さなのだ。
誰もがうらやむ高級ワインに辿り着くのがゴールだなんて、そんなのまっぴらごめんだ。


追伸
1本10万円のワインをつくってるDBRの人間がこんなことを言うなんてどうかしてる、と思われたかもしれません。
でも、2千円のワインも、10万円のラフィットも、同じワインなのです。
ぼくには10万円のワインを頻繁に買う金銭的余裕はありませんが、それでいいのです。
買える人が買えばいいことですし、ぼくもいつか、一世一代の大勝負や、特別な記念行事のために買うかもしれません。
ぼくは幸いにも、週に1本程度なら2千円のワインを買って飲める余裕がありますし、金額に関わらず味を評価できる技術を持っています。
それもまた、ワインを学ぶ理由の一つになるのではないでしょうか。

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