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MCエッセイ Vol.29 新発田の中心部に百貨店があった?(岸田瑠々)

皆さん、こんばんは。
就職先が決まってご満悦の国際文化学科4年岸田瑠々です。今日も今日とて限界生活、時刻は19時を回りました。MCエッセイの執筆を開始します。

気付けば4年生。入学時の心構えを忘れることなく、ラスト1年も全力でモラトリアム延長していきたいと思います。

さて、4年生と言えば学びの集大成こと卒論ですね。
敬和に今年から卒論に並ぶ新たな学びの集大成が出来たことを皆さんはご存知でしょうか?そう、「卒業制作」です。構成から取材、撮影にナレーション、編集までを1人で行い一連の活動を報告書にまとめ、1本の映像作品を作り上げることで成るのだとか。

※ 編集部注:国際文化学科の「卒業論文」として、映像制作等の成果物に報告書を加えた形の「卒業論文」が認められることになりました。

現在自分は撮影も編集も出来ない現状から目を背け無謀にもこれに挑戦しようとしております。

そんな向こう見ずな青臭さの餌食になるかもしれない、取材テーマのキーワードとして、現在浮上しているのが、「ハヤカワデパート」と「ダイエーカネダイ」。とても長い「シャッター通り」として名をはせる新発田商店街ですが、その昔2つの百貨店/大型商業施設があったというのです。ひとつはダイエーカネダイ新発田店。大きなボウリングピンが聳える建物の隣にある大の文字が書かれたビルがダイエー跡。そしてもうひとつがハヤカワデパートです。市役所近くの不気味な廃ビルはご存知でしょうか?数年前までカラオケビッグスターが入っていたあの場所こそが、かつてハヤカワだった場所であります。




コモタウンやパテオ西新発田、イオンモール新発田といった郊外の商業施設に負けて撤退したのだろうと思っていたのですが、ダイエーもハヤカワも閉店したのは1989年なんですよね。その頃にはまだこれらの郊外商業施設は存在していないんです。なぜ消えてしまったのでしょう?ハヤカワはイオングループが母体だったみたいなので、イオン新発田が建つことを見越して撤退したのかなとも思ったのですが如何せん情報が少ない。

とまぁ、商店街の黄金期を支えたであろう2つの百貨店の栄枯衰退に迫ることで、現在の商店街の現状についても、理解を深めることができると思うのです。当時の新発田を知る人達に聞き込みやインタビューを行い、「アナザーストーリーズ」のようなナニカを作りたい所存。岸田、松嶋菜々子になります。願わくば口だけで終わりませんように。

リスナーの皆さん、「ハヤカワデパート」や「ダイエーカネダイ」に関する情報や思い出をお知らせください。

ではではまた次回。


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