見出し画像

本多勝一が酷評した「宗谷岬」:一戸信哉の「のへメモ」20220129

今週の放送は、私の前任校稚内北星学園大学のラジオサークルの皆さんご協力いただき、「おとなりメディアレポ」を放送しました。稚内という町のことも、番組の雰囲気も、もっといえば、前任校で学んでいる学生たちの雰囲気も、私はだいたい知っているか想像つくわけですが、それをMCの岸田さんに聞き出してもらうという企画になりました。いかがだったでしょうか。

曲の方はGalileo Galilei「稚内」。田舎に暮らす若者のたちの閉塞感というか、そこから飛び出そうという意欲があふれている歌です。「ご当地」要素があるとすれば、「風」とか「雲」、さらにいえば「冷たい水の流れる沢」です。一般的には、「冷たい水の流れる沢」がなにを意味しているかはわからないと思いますが、これは稚内の語源となったアイヌ語「ヤムワッカナイ」の意味です。「さよなら 冷たい水の流れる沢」ですので、つまり稚内にさよならを告げています。「冷たい水の流れる沢」は、稚内で育った子どもたちはみんな習うでしょうから、地元の人達にはみんな意味が伝わることでしょう。

私が子供の頃、青森という場所は、メディアで「田舎」として自虐するような表現を多く見ていました。吉幾三さんの「おら東京さ行ぐだ」には「東京でベゴを飼う」なんていう歌詞も出てきますよね。このほか青森出身のご当地タレントも、田舎っぷりをネタにするような様子もありました。今となってはその頃の気持を思い出すのは難しいですね。故郷をネタにしてでも東京で勝ち上がっていこうとする同郷人を応援していたのか、そこまでするかと不快に思っていたのか。でもいずれにしても、「ご当地」要素が入ってきた場合には、その扱いはつねに難しく、「津軽海峡・冬景色」にしても「津軽平野」にしても、気候の厳しさを歌うことはありますが、バカにするような表現はないですよね(最近リリースされて、解読が難しいとされた「Tsugaru」は、訛りを丸出しにしていますが、吉幾三さんが歌い、最後に「津軽の言葉をなめんじゃねえ」としめるのでOKなのでしょう)。


古典的なご当地ソングは、地名やその風景をおりこんだ歌詞が一般的ですが、稚内の場合にはそういうご当地ソングはあるのか。探してみると2つほど見つかります。

1つは稚内ブルース。作詞は星野哲郎さん。「サハリンの島影」「乙女の涙」と稚内公園の風景を思わせる歌詞から始まります。「乙女」というのが、氷雪の門の女性像のことをいっているのか、真岡郵便電信局事件の電話交換手たちを慰霊する「九人の乙女の像」を言っているのかどちらかわかりませんが、「涙」を流してしまいます。最初は完全なご当地旅情ソングなのですが、二番になると「利尻通いの船が出る」と、ちょっとローカル色が出てきます。「利尻通い」ですからね。島への出張が多い稚内在住の人々の心に響く要素もあります。

もう1つ、こちらのほうが旅人にも知られている曲だと思います、ダ・カーポ「宗谷岬」。

こちらはなんと、宗谷岬に石碑が立っていて、宗谷岬にいくと流れてきます。「流氷」「はまなす」「外国船」「最果て」と、稚内というか、宗谷岬の要素を満載した歌です。かつてこの地を訪れた本多勝一さんは、この歌が流れる石碑を酷評しています。

「みやげ物屋の拡声器が浜辺の人々にがなりたてる。歌詞がまた決まり文句と手アカだらけの単語をこねて団子にしたような“作品”であり、歌詞を刻んだ石碑も建てられ、自然破壊の役割を果たしている。騒音に対するこの鈍感さ、自然に対するこのひどい冒瀆、心ある人は二度とこんな岬に来ないだろう」

本多勝一「北海道探検記」」

この本が出たのは昭和58年ですので、その後音量は調整されたのかもしれませんが、私が宗谷岬によく行っていた頃には、そこまでの騒音は感じませんでした。宗谷岬周辺は夏場でも結構風が強いですし、冬になると暴風雪となることが多いです。したがって、「がなりたてる」ほどの音を出していたとしても、風がかき消してしまうのではないか。そんな気がしました。

たしかに歌詞の内容は当たり障りがないですよね。宗谷岬には、海軍の望楼も残っているわけですし、宗谷海峡が軍事的にも大変重要な場所なわけですから、そんな呑気な歌を歌っているわけではないと(そういうことを本多勝一さんがいいたいわけではないと思いますが)。本多さんの本との前後関係はわかりませんが、この時期に、大韓航空機撃墜事件が起きて、その後慰霊碑も宗谷岬に建てられています。

津軽藩の人々が北方警備に送られたこと、ニシン漁のためにこの地域に渡った人の中にも青森の人が多かったと聞きます。礼文島には「津軽町」という場所もあって、実は以前からこの町のルーツにも興味を持っています。

追記:全部書いてから、村下孝蔵「稚内から」のことも思い出しました。これについてはまた別の機会に。

追記2:「稚内ブルース」は、同名異曲があり、小宮あけみさん、原みつるとシャネル・ファイブが、それぞれ歌った曲があることがわかりました。こちらのほうが古く、1968年と1971年にそれぞれリリースされています。「稚内ブルース」という曲名だけを覚えていたのですが、たぶん以前聴いたことがあったのはこっちですね。これについてもまた次の機会に。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?