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プロサッカー選手のセカンドキャリア問題の実態

社会を知らないままサッカー選手になり、社会を知らないままサッカーに関わり、その次の人生が詰んでしまうという話を幾つも耳にしてきました。

先日、某サッカークラブの代表の方から、こんなお話を聞きました。

「Jリーガーの方が、引退して育成年代の指導をするケースが多いわけですが、彼らは自分がプロ生活で経験してきた指導、トレーニングを子どもたちに行います。必ずしもそれが悪いわけではないのですが、子どもたちの指導の仕方を学ばずにプロサッカー選手時代に受けた指導と同じように指導しても子どもたちは理解できないという事実になかなか気がつけないんですよね」

「難しいなと思うのは、サッカー選手として成り上がり、プロでプレーしてきたというプライドが邪魔して、自分の社会人としての成長に向き合えないことです。社会人としての経験がなく、ゼロから積み上げないといけないのに、それすらプライドが邪魔してしまうケースがあるんですよね」

元Jリーガーの井筒陸也さんは著書「敗北のスポーツ学」の中でこう記しています。

昨今、これまでにも増して、アスリートのセカンドキャリア問題を語る人が増えました。これは人材紹介という形でビジネスの一つの領域になり得るし、参入障壁もあってないようなものなので、マーケットとして機能することは理解できます。ただ、その問題提起の背景に「Jリーガーには引退後もキラキラしていてほしい」という、勝手な期待が見え隠れする時、僕は「ただのサラリーマンになること」や「面白くもつまらなくもない仕事をして、お金を稼ぐこと」の何が悪いのかと、声を大にして叫びたくなります。

        ーー中略ーー

Jリーガーたちにも、何かをあきらめたり、折り合いをつけたりする自由が保障されるべきだと、僕は思うのです。そもそも、サッカーしかしてこなかった僕たちが、サッカー以後の人生でも、頑張って普通に会社勤めをしている人たちよりも、楽に稼いで悠々自適に生きていくことなどできるはずがありません。むしろ知っておくべきは、お金を稼ぐために”普通に”何かをあきらめることや、そのあきらめ方だと思うのです。

もちろん、元Jリーガーで、ものすごい勉強量と行動力ですごいキャリアを作る人もいます。しかしながら、それができるのはほんの一部で、多くはセカンドキャリアに直面する問題に真摯に向き合うことができずに苦しんでしまいます。

元プロサッカー選手、元Jリーガーというだけで、周囲からの特別な、過剰な期待があります。これは当人にとってプレッシャーになり得ることは容易に想像できます。
かっこよくい続けなきゃいけない。特別であり続けなくてはいけない。新卒社員のように泥臭く働くわけにはいかない。そんなダサいことはできないと。

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