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《お念仏だより#136》中道(ちゅうどう)とはどんな道?

仏教の教えに
中道ちゅうどうということが
ございます。

道とは人の生きる道で
偏りのない生き方を
示しています。

人は皆、先入観を持ち
物事をあるがままに
見ることができません。

それが原因で、
正しい判断が
出来なくなって
しまいます。

そして、小さなことにも
腹を立て、苛立いらだち、
悪循環に陥ります。

そこで必要なのが
偏りのない心
中道なのです。

昔、お釈迦様は、
国王の息子として生まれ、
何不自由のない生活を
していましたが、

ある時、城外の様子を見て、
自分の知らない世界が
あることに気づきました。

今まで気にしたこともなかった
「人は、生まれたら
年を取り、病気になって
死んでしまう」ことに
気づいたのです。

悩んだ末に、お釈迦様は
お城を出ることを決意し、
山にこもって
修行を始めます。

しかし、いつまで修行しても、
心の中の問題は解決できず、
お釈迦様は、
修行仲間から離れ、
ひとり、瞑想めいそうを始めます。

そこに一人の少女が
通りかかって、
乳粥を布施しました。

お釈迦様は、
それを手に取ると、
おいしそうに食べました。

お腹が満たされ、
全身に力が湧いてくるのを
感じました。

この時、お釈迦様は
悟りを開くことが
できたのです。

共に厳しい修行をしていた
仲間たちは、
修行を投げ出したと
厳しく批判しました。

しかし、お釈迦様は
こう語りました。

修行もせず、怠けていては、
悟りを開くことはできないが、
修行が厳しすぎても、やはり
悟りは開けない。

極端に走ることなく、
おだやかな心を保つことで
初めて悟りの境地に達するのだ。

しばらく後に
お釈迦様は
元の修行仲間に
悟りの境地を伝えました。

教えを聞いた
元の仲間たちは、
すぐに弟子になりました。

皆、気づいていたのかも
しれません。
今している修行では、
悟りは開けないと。

しかし、
これまでやってきたことを
簡単に捨てることは
できません。

修行をやめれば
批判を受けるかもしれません。

それらの心は、すべて、
人の持つ煩悩ぼんのう
起因きいんしています。

煩悩を消し去ることは、
とても難しいですが、

煩悩を持ったままでも
浄土に往生できる
浄土宗の教えは、

とてもありがたいものです。

南無阿弥陀仏


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