大人になると注意してくれる人が減ってくるからこそ、自分で修正する力がいる

大人になって年齢を経るに連れて、注意してくれる人が少なくなってくる。その場に相応しくない立ち振る舞いをしていても、誰も注意してくれないなんてことはザラにある。むしろ、注意してくれる人はあなたにとってとても貴重な人となる。

そもそも大人が大人に注意するということは、どうでもいい相手にはしない事だからだ。注意する行為というのは、正義感や道徳観がものすごく強い場合を除き、自分にとって大切な相手(利害関係であれ)にするものだと思う。どうでもいい相手だったら、その場を適当に凌いでその後は距離を離してなるべく関わらないようにすればいいだけだから。人に注意すると言うことは言い方にも気をつけないといけないし、神経を使う。神経を使うくらいだから、相手を選ぶのだ。

私自身、周囲に注意をしてくれる人が年々減っている気がする。だからこそ、私に理由があってその理由をハッキリ伝えて注意をしてくれる人を大切にしている。が、それでもやはり注意されることは減っている。

アラサーになって、そろそろ自分の立ち振る舞いや言葉遣いが目立つ年齢にさしかかってきた。若い頃は多少の粗相は許されるが、私はどんどんそれが許されない年齢に差し掛かっているのをヒシヒシと感じる。むしろ、若い世代に注意をしていく世代に突入している。

ただ、許されないというよりも、粗が目立つと言った方がいいかもしれない。20代前半で許されてた少し荒い立ち振る舞いを30代になってやると、とてつもなく未熟に見える事も多い。20代はこうあるべき、とか30代はこうあるべきという枠にはめるのは嫌だが、30代以降になると、その人の生き方や価値観が如実に全身から滲み出る気がする。あくまで私の経験上だが。

私の祖母を見ていてしみじみと思う。私が一番素敵だなと思う女性は祖母だ。80代なのだが、立ち振る舞いが美しい。芯の強さとしなかさを感じさせる素敵な女性だ。祖母の生き様が全身に現れているのだと思う。

もちろん女性に限った話ではなく、男性にも当てはまる。ある程度の年代になると、自分の生き様が滲み出てしまうのだ。

その生き様は、どうやって培われてきたかというのは人によって違うが、私が思うのは、人に注意されようがされまいが、自分の立ち振る舞いや言動が他人からどう見えているのか、そしてその場に相応しいのかを冷静に考え、自分で修正できる人が身につけられる物だと思う。

大人になればなるほど、注意をしてくれる人も減るから、自分で自分を直さないといけないのだ。もちろん、注意を含めて人からのフィードバックを真摯に受け止める事も大切だ。

私はまだまだ自分に甘い所があるので、立ち振る舞いは全くもって私の祖母とは程遠いが、私も祖母と同じくらいの年代になった時に祖母のようになれればいいと思う。