ミーハーという免罪符。
僕は、「ミーハーです!」って自己紹介する時がある。
ミーハーって最初に伝えることで、自分は幅広く興味があることを分かってもらい、その人との共通点を探そうとしているから。
でも、ミーハーは、広く浅く好きっていう言葉でもあるわけで。
深い趣味があるわけではないってことを表明しているわけで。
簡単に言うと、「好き」だと公言してるジャンルに浅くても許してね。っていう免罪符を求めているわけでもあるんですよ。
趣味と言えるモノを順番に上げていくだけでも、本当に数多くある。
サッカー、音楽鑑賞、小説、哲学、映画、ラジオ、ブログ書くなどなど。
キリがないくらい数多い。
ミーハーって言葉が本当にお似合い。
ミーハーと言う免罪符を掲げつつも、趣味だと公言しているから、「普段小説はなによんでるの?」って聞かれる機会があった。
「そうですねー、好きな小説家は朝井リョウさんです!」
「何冊くらい読んでるの?」
「3冊くらいですかね!」
「他に読んでる小説家の人はいる?」
「2冊しか読んでないですけど、大江健三郎さんとか」
「なるほどね。」
会話はここで終わった。
ここでもう見切りをつけられてしまった気がした。
小説好きを公言してる割に、読書量はそんなにないんだと思われた。
確かにその通りで。
僕も答えていて、恥ずかしくなってきていたところだった。
会話している相手の方は、ずっと編集として小説に関わってきた本物で、僕はとりあえず小説好きって答えるミーハーなニセモノ。
前述したように、好きなモノ全部をとりあえず好きと公言して、間口を広げることを考えてきた。
いろんな「好き」を媒介に、いろんな人と仲良くしようときた。
相手と話が盛り上がるように、好きなモノは相手によって変えるし、相手が好きな話題を選べるように色んなモノを好きになってきた。
でも、その好きなモノ数打ちゃ当たる作戦も、もう限界かもしれない。
それを思い知った今日一日でした。
ミーハーな話題作りのための「好き」と、心の底からの「好き」の熱量は全然違う。
そんな熱量が違う相手に仲良くなろうと思わないし、こいつ浅いなって思われて終了。
実際に僕自身浅い自覚あるし。
本物の人と仲良くなるには、こっちも本物の熱量になるしかない。
別にそれはその人と好きなモノが違ってもいい気がする。
仲良くしたいからって無理やり好きなモノを合わせても、その人と同じだけの熱量は注げないから。
それなら、自分が同じくらい熱量を注ぎ込める好きなモノを見つけて、その熱量で話す。
そうじゃないと、ずっとニセモノのままだし、うすーい「好き」を携えて生きていって、うすーい「好き」なモノに囲まれて死んでいくんだ。
僕はミーハーの免罪符で逃げ続けてきたけど、ニセモノのまま終わりたくない。
本当に自分が心から話せる「好き」を見つけていきたい。
そのためには、色んなジャンルに手を広げすぎた「好き」を整理することから始めようと思う。
本当に「好き」なモノはなんなのか。
これから熱量もって語れる「好き」なモノを探していきたい。
もう僕はミーハーという免罪符に逃げたくない。
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