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■わが青春BUMP OF CHICKEN 2020.5.6

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以下、この記事は2020.5.6深夜酒を飲みながら書いて忘れていた文章になります。当時も誰に見せる目的もなかったですが、成仏させます。
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BUMP OF CHICKENは、私の高校卒業までのアイデンティティ形成を支える根幹の部分を担った存在と言っていいだろう。
そんなバンプ(略称)がこの度MV22本をYoutubeに公開したコトをきっかけに、楽曲を聞きながらこの文章を書いている。
モラトリアムを感じる世代は卒業し、世の酸い甘いを経験しつつある私が、私情をはさみつつ語りたい。
とはいえ、どうやって出会っただとかを語るつもりはなく、なぜ彼らが売れたのか、に焦点を当て、できるだけ俯瞰した文章に私情をはさむつもりである。
以下、バンプ含め、略称を多用するが、調べればすぐわかる程度に抑えるので容赦いただきたい。


◆なぜバンプは売れたか


バンプは大流行した。そりゃもう売れた。当時の中高生は(いまでいう)陰陽関係なく全員が聞いていた。でもどちらかといえば陰性の方にドストライクであった。
流行のきっかけ、大ヒット曲「天体観測」は2001年リリース。それから、私が初期~中期と呼んでいる2004年のアルバム「ユグドラシル」までの楽曲および、彼らについて記述する。


-とりあえず時代考証

「天体観測」の時期で言えば、ハイスタが活動休止した後で、彼らを発端としたAIR JAM世代から次の世代にバトンタッチしていきつつしており、俗にいう第4次バンドブーム時代の幕開けの時期であった。ミスチルはすでに王道も王道、ポルノは絶賛売り出し中(それも終盤か)位の時期で、青春パンク全盛期でもあり、ちょっと後にはORANGE RANGEの流行もあったし、エルレやアジカンの流行もこの時期である。
私情的にはエルレの話もしたいが割愛する。
時代は世紀末を乗り越え、21世紀になり、不安と希望を私は感じていた。
なんでもできる気がしたと同時に何もできない気がした。

(余談だが、「天体観測」以前の楽曲「アルエ」はアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の登場人物、綾波レイのコトを歌った歌であるが、このコンテンツが2020年現在未だ人気で、新作映画製作中というのは驚くべきことだ)


-FLASH動画などインターネット黎明期文化の後押し

「天体観測」とバンプ流行時期は、いわゆる、FLASH動画全盛期に当たる。
Vo.藤原基夫の作詞作曲する物語性のある音楽はこれに合致し、想像力と創造力に飢える若者が競って彼の詩世界を表現しようと試行錯誤した。実際、表現はしやすく、一歩踏み込む考察は多様に解釈できるため、盛り上がった。曲間のつながりも語るべき種として有用であった。当時は自作HP(『魔法のiらんど』や『前略プロフィール』の全盛)も多く、『同盟』などという言葉の名のもとにHPを作り、掲示板を設け、語り合い、『落書き置場』と称し、歌詞画を掲載し、偶像的に崇めた。(少なくないHPが多くのコンテンツを『工事中』と注釈をつけ、サグラダファミリアよろしく未だ完成しない。)

雑誌の売れ行きもよく、インタヴュー(あえてヴ)での藤原の、中高生に刺さる生い立ちと言葉、ヴィジュアルもとても効果的に働いたと思う。
私は多くの若者と同じようにそれにかじりついた。親のPCを借りて、関連するワード検索結果の一つ一つを10ページも20ページも繰る有様だった。お気に入りに入れたHPの更新を都度確認する『巡回』という行為もやっていた。もちろんロキノンを読んでいた。ジャパンだけ。
楽曲の中でも「ラフ・メイカー」や「K」などは、非常にわかりやすく起承転結と叙情性、おまけにどんでん返しの仕掛けを一曲に込められており、非常に多くのFLASHが作られた(多くの視聴回数を得られたのは一部かもしれないが)。


-歌詞世界の中高生へのフィッティング


【叙情】という言葉はバンプを語るうえでよく用いられる。

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叙情という言葉は特に音楽の世界において用いられる場合が多い。叙情の旋律・叙情的な曲という表現は、上述の本来の意味に付け加え「物哀しい様子」を上乗せして語る事が多く、悲しみ、哀愁、切なさという表現とは若干異なり、そういった単体の感情を超越した意識下にあるさまざまな感情が入り乱れた、胸に訴え掛ける直情的な美旋律を指して「叙情的」と呼ばれる。
-—出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


wikiにあるように、【叙情】は物哀しさを差す場合が多い。バンプの歌詞世界は基本的にはその解釈通りで、哀しい境遇から始まる。物語の主人公は苦しい境遇に立ち向かい、時に馬鹿にされながら、最後に希望やハッピーエンドを得る。特にCメロからの大サビにかけて大逆転の清々しさたるや、勧善懲悪のスカッとジャパンロックである。
そしてそれは、世紀末の閉塞感をかかえながら、輝かしい21世紀に降りたった中高生に響き、生きるべき指針になる(と感じる)に十分だった。

-裏(表と本人たちは言う)の顔

そんな彼らが、憧れるバンプ、そして藤原はとてもひょうきんであった。
1stアルバムは一曲目を最初から巻き戻すと、隠しトラックが収録されているし、そのほか多くのシングルやアルバムには、最終曲の長い沈黙の後に隠しトラックが収録されており、そこにはセンチメンタルで深い悲しみと揺るぎない信念を持つ主人公はおらず、別次元のバンプがひたすらふざける。そんでちょっと泣き笑い要素もあって、憧れもあるのに、親近感まで覚えるという欲張りセットの構成なのである。
今でいう『マイヘアとヤバTが共存してる』くらいのコンテンツ。
売れないわけがない。

-『共感』と『憧れ』の共存。

一部上述したが、当時の中高生に刺さったバンプのシステムについて言及する。
『共感』する音楽は古今、ヒットしてきたし、音楽は大衆の意見の代弁の役割もあったことも考えると『共感』の音楽は強いとわかる。なぜ共感したかは上述の通りだが、当時の中高生は藤原に共感したというよりも、彼の生み出す物語のキャラに共感したはずだ。ここに物語性の強い楽曲の強味がある。
物語のキャラは、藤原から生み出されたし、多くは具体的なエピソードから作詞されたことも本人が言及しているので、藤原の意思・意見の具現化であるのは間違いない。バンプファンは全部知っている。けれど、共感のよりどころは藤原ではなく、キャラなのである。楽曲中でリスナ-は物語の世界に入り込み、一旦藤原を切り離し、キャラに寄り添う。深い共感を得て、その後藤原の作った世界であったことを思い出す。
このシステムのおかげで、リスナーは楽曲に『共感』し、藤原に『憧れ』を抱く。
通常楽曲とアーティストは同一視されるが、藤原は自分の化身(=キャラ)を楽曲中に存在させることで、多重構造を構築し、『共感』と『憧れ』を共存させたのである。
以上、バンプはなぜ売れたのか、を俯瞰的に分析してみた。

最後に、私の一番好きな楽曲「beautiful glider」を紹介する。
この曲は私に、背中を押すことはしないけど、それは君を信頼しているからだ、と言ってくれる。私は当時、悩み苦しみ、鬱屈した時期を抜けた頃で、失敗とも成功ともとれる出来事を経験し、とても勇気づけられた。グライダーのように風に逆らわず飛ぶ強さがわかった気がした。
奇しくも(?)この曲が収録されている「COSMONAUT」というアルバムを最後に私はバンプから少し離れる。

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