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【173日目】一緒にお風呂実験

「ケイト、パスパスしよう」

河川敷のグランドで行われた娘のサッカーの招待試合に、お当番だった私は同行していました。

試合の間隔が長く、待ち時間が多かったので、間に練習をしたり、軽食をとったり、おしゃべりしたり。

仲の良いママ友がいれば退屈せずに楽しめたのだけれど、何人かいた父母は、こちらから話しかければそれなりに会話はするものの、取り立てて話題もなく、少し話しては、またお互い一定の距離を保って、各々時間潰しをするような関係でした。

これまでも、娘のサッカーの練習や試合に同行したことはあったけれど、娘にとってここはツムギの一番の居場所!と見せつけるかのように、行き帰りを除いては、チームメンバーの中に入った娘は、私の元に戻ってくることはほとんどありませんでした。

周りのこどもたちを見ていると、「ねぇ、ママ!」と、休憩時間には、それぞれの巣に帰って行くかのごとく、母に抱きついたりしながら甘えており、小学生の母娘って、まだまだこんな感じだよね。と、ひとり寂しさを感じるのでした。

それでも、全員の父母が毎回同行している訳ではないので、ツムギが同じように寂しい思いをしていることはないだろうと、さほど気には留めていませんでした。


先日の試合の日は、いつもに比べて、娘が私のいる巣に帰ってくる回数が多いように感じていました。

そこにきて、パスパスの練習を一緒にしようだなんて。ああ、仲良しのSちゃんとKちゃんが、また今日はふたりでべったりしているんだなと、なんとなく状況を察したので、私は娘の誘いに応えて、サッカーボールを蹴り始めたのでした。

帰宅時、解散場所から自転車置場まで一緒に向かったのは、同じ学校のSちゃんとKちゃんでした。
Sちゃんの母のお迎えはなく、そこから自宅よりも近くにあるおばあちゃんの家に帰るようにと言われていると聞いて、Sちゃんと幼馴染のKちゃんは、おばあちゃんちまで送って行くよ!と言い出し、Kちゃん父を引き連れ、ツムギと反対方向に自転車を返しました。

私とふたり、自転車を漕ぎ出した娘は、「ふたりともツムギのことが嫌いなんだよ」と切り出しました。

ついこの間までは、ようやくうまくバランスを取り、三人で仲良く遊び始めたと思っていたのに、最近は学校でも二人でコソコソ話をし、どうしてツムギも一緒に遊んでくれないの?と聞くと「私たち幼馴染だから」と言われてしまうのだと言うのです。

「ツムギには幼馴染がいない。Sちゃんと幼馴染になりたい」

目に涙をいっぱい溜めて訴えてくるので、心がえぐられるような思いでしたが、ひとつひとつ、言葉を選びながら、私の考えを伝えていきました。

幼馴染が羨ましい気持ちはわかるのです。
私も何度も転校をしているから。

だけど、幼馴染だけが友達じゃないし、友達との関係なんてこれからいくらでも変わっていく可能性だってあるんだし、ひとつの憧れの関係性って言うだけで、幼馴染のいるいないが人生の幸福度を決めるわけでもないのは知っています。

ツムギには、今は離れているけれど、ちゃんと幼馴染はいて、さらに今まさに、一緒にがんばっているサッカーの仲間がいる。
ずっと親友でいたいなーと思うSちゃんもKちゃんもいる。

それだって充分に豊かなことだと、気がついてくれたら嬉しいけれど、それはきっと何年も過ぎて、振り返ったときにわかるのだろうと思います。

帰り道も、お風呂を沸かしている間も、壊れそうなハートを必死に押さえながら私の話を聞いていた娘。

続きはお風呂で聞こうか。

悲しい気持ちわかるよー。と、抱きしめた時には身体と心のすべてを支えてあげないと、立っていられないんじゃないかと思うくらい弱々しい娘でしたが、お風呂に入ってきて話し出したのは、その日のサッカーの試合のことでした。

もう大丈夫かな?と思ったので、もう一度友達の話題に戻し、人の気持ちも関係も、ずっと変わらないことなんてないし、人の性格だって、同じことを見ても感じ方が違うことがあるよ。と言いたくて、例えば、私はどんな人に見える?と聞いてみました。

「怖い人。
だけど、大人になったら厳しく躾てくれてありがとうって思うんでしょ?
それからたくさんギュッとしてくれる人!」

わぁ、なんだか嬉しいな。と思っていたら、続けてこんなことを言われました。

「でもね、悪く思わないでね。
最初はギュッとされるの嫌だったんだ。
まだ半年も経っていないのにって」

そりゃそうだよね。
私だって、今でこそ、こうして普通に一緒にお風呂に入っているけれど、一番最初にふたりでお風呂に入ったときは、え?こんな狭い浴槽に、裸で一緒に入るの?って違和感があったもの。

私はツムギに言ったりしないけど、その当たり前の感覚を言えない辛さを持つこと自体普通のことだもの。


自分の気持ちを素直に言えずに赤ちゃん返りしていた娘が、こんなにしっかりと自分の気持ちを話してくれました。

「ほら、さっきまで泣きそうになっていたけど、今はもう、また楽しくできそうって気持ちになっているでしょう?人の気持ちは変わるんだから、大丈夫よ」

娘はまたいつもの強い子の顔に戻って、明るい表情をしていました。

「でも、今は大丈夫でも、また学校で嫌な気持ちになっちゃったらどうするの?」

「嫌な気持ちになってもいいんだよ。ただ、嫌な気持ちになったからと言って、Sちゃんに嫌な顔をしたり、どうして?!って聞いたりしないで、その嫌な気持ちはお家に持って帰っておいで。そしたらまた、こうしてお話を聞いてあげるから。
それができるのが家族なんだよ」

娘の安全基地が、自分の部屋から、自分の家に、ようやく広がってくれたんじゃないかな。と思いました。

一緒にお風呂実験を始めた目的は、まだまだ果たしていないかも知れないけれど、思いもよらない別の成果が出ていると感じました。

母だと、思ってくれているようです。
たぶんだけど。たぶん。

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