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第10話:マルクスの「資本論」の冒頭の意味と資本主義社会の貨幣の意味

こんばんは!今日は久々に会社に出勤しました。
そしたらあじさいが咲いていて、桜も見ないまま気がつけばもう梅雨の時期になってしまったのかと思いました笑
さて、今日も昨日の続きのマルクス経済学についてお話していきます。

前回のおさらい

前回はみなさんが生きている(経済)社会のルールである、自給自足ができないことや、労働力を売ることでしか生活手段を得ることができない、私有財産制の3つのルールを説明した上で、これが資本主義社会の原理であるということを説明しました。
これを有名にさせたのがマルクス。マルクスは歴史を紐解くことで社会の法則を弁証法に則って分析をして、資本主義社会の次に来る社会を予言したわけです。


膨大な商品の集積

マルクスの資本論の冒頭に有名な一節があります。

「資本主義的生産様式が支配している諸社会の富は、『商品の巨大な集まり』として現れ、個々の商品はその富の要素形態として現れる。それゆえ、われわれの研究は、商品の分析から始まる」(第1巻第1章第1節「商品の2つの要因」)

要するに、現代の経済社会の富(豊かにするもの)というのは、「膨大な商品の集まり」であるということを言っています。そこで、マルクスははじめに商品の分析をしますと宣言して、商品の分析をします。


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商品はただのモノではなく「商品」であるのは社会関係の中に置かれているからということが言えます。社会関係の中におかれていることが商品たるゆえんであるということです。

当たり前のことを日常で意識をしない

なるほど、「資本主義社会は商品がたくさんあることで成り立ってるんだな〜」、「商品は社会関係の中に置かれているから商品であるだな〜」ということは言われて初めて気づくわけです。

Vol.7でお話した内容を思い出してみましょう。

どこからがリンゴでどこからがリンゴでないか。
どこからが机でどこからが椅子なのか。
指摘されない限りは、意識することは絶対にありません。


疎外や忘却が資本主義を引っ張って行く

商品は社会関係におかれているからこそ商品でなりうるんですが、現実では待たったく逆で、商品は社会関係の産物だと言うことを意識してしまうと市場経済はうまくいきません。例えば、生産者の顔が見えてしまうと、お金を媒介としたやり取りがしづらくなってしまいます。コンビニの商品棚に置いてある商品一つ一つは、別々の人が作ったとしても同じ値段ですが、ベテラン職人と新人職人が作っているのっていうのはわからないですよね?社会関係で成り立っているはずにもかかわらず、そういう部分は、切り離して行かないといけません。つまり疎外していくわけです。

逆に、社会関係の産物だということを切り離して忘れさせることで、商品はうまく売り買いされて市場経済はうまくいきます。要するに、コンビニで売られている商品一つ一つを生産者の顔を思い出しながら買わないですよね?
ケンタッキーフライドチキンの鶏を思い出しながら買って食べる人はまれにいますが、そんなことを日常行わないわけです。(もちろん、鶏にも生産者にも感謝して「いただきます」と言って手を合わせるわけですが)

貨幣が生み出す資本主義のダイナミクス

また、社会関係の産物であるということを切り離して考えさせることや、忘れさせるモノとしてこの社会にあふれているみなさんが大好きなものがあります。

それはなんでしょう?

答えは、「貨幣」です。いわゆるお金のことです。

このお金と言うのは社会関係の産物であることを忘れさせてくれて消費を促進させてくれるのです。

これはどういうことかと言うと、逆に考えてみましょう。
貨幣がない直接的交換ネットワークにおいてはそれぞれの商品の交換価値は他のすべての商品の交換レートの束という複雑な数値の組みになってしまい、どうしてその背後社会関係が透けて見えてしまいます。
要するに、物々交換で成り立っている社会を想像したときに、物々交換で同じ価値を持っているもののリストを考えてしまうと、背後にある商品の生産のことが見えてきてしまって交換が起きにくくなるということが言えます。

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上の図は、直接的交換ネットワークの場合のイメージです。
ダイヤモンド1粒と交換するために、要求した内容のリストが、ピザ1年分やゾウ1頭分、米3俵を提示しています。それで、交換が成立した所有物はピザ1年分だったため、ピザ1年分とダイヤモンド1粒を交換したということになります。こうした直接的交換のためのリストを持っていることによって交換がしづらくなるということがわかりますでしょうか?

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一方で、貨幣がある現代の経済社会に置き換えると、
・ピザ1年分は10万円と等価
・ダイヤモンド1粒は10万円と等価
とします。
ピザ1年分を生産して販売して得た10万円を、ダイヤモンド1粒と等価の10万円で購入することでわざわざ直接的交換のリストを出すことも、考えることもなく10万円で購入を実現することができます。

交換については、Vol.8でも説明しているので復習しておいてください。


貨幣という媒介手段を使うことで便利に交換を進めることができます。こうすることで交換を実現することができます。
めちゃくちゃ便利でしょ?

しかし、この貨幣の便利さも裏を返すと、貨幣によってすべての商品の交換価値はあたかもそれに内在する固有の性質であるかのように見えてしまい、その背後にある社会的関係性の忘却が容易になるわけです。

要するに、「生産者さんありがとう」という気持ちが薄れてしまうんですね。
マルクスで言うと労働者が生産した商品は、労働者が生み出した不可価値であることを疎外してしまう。そうすることで、労働者が軽視されてしまい、資本家と労働者の主従関係が生まれてしまうと考えたわけです。
ここでは、社会批判の思考ではなく経済の仕組みを理解するためにこの考え方を使うということをしていきます。

まとめ

この資本主義の社会は、膨大な商品の集積によって成り立っているということ。その商品を交換するために、お金を媒介して物々交換をしているけど、それを気にしてモノを購入している人はいません。
この忘却や労働と商品と賃金、貨幣の疎外によって資本主義はダイナミックに動いていくということを理解してもらえればと思います。

次回は、マルクスが資本論で一番初めに研究した「商品論」を学んでいきたいと思います。商品に価値はどうやって生まれるのかその仕組を資本論に則って説明していきたいと思います。

これからは、以前紹介した記事の中の知識を前提条件として話していくので、わからないことや、復習が必要なものについては適宜参照すべきエントリーを紹介していくので見ておいてください。

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