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第16話:産業革命後の近代マネジメント

前回のおさらい

前回は、マネジメントの話をする前の前段をいたしました。近代のマネジメントを学ぶには必ず産業革命の状況を確認しておく必要がありました。天然資源の動力に対する機械動力の代用となった蒸気機関が生まれ生産能力が格段に上がったことや、生産方法が、手工業から機械工業に変化したことで、働き方が大幅に変化したわけです。また、産業革命の影響で市場競争も激しくなりどんどん生産が拡大たというお話をしていました。

産業革命をもう少し深く知っていきましょう

産業革命前後のイギリスの巨大産業は織物業でした。今も、イギリスの織物は有名ですよね。織物という言い方をすると分かりづらいですがスーツ王国であることからもわかるように織物が有名な国でした。
そして、織物工場の機械の発達は産業革命を牽引していきました。
まずはじめに、1733年ジョン・ケイの飛び杼(ひ)による織り込みの機械化です。ジョン・ケイの飛杼は世界史を勉強したことがある人は必ずテストに出たのではないでしょうか?産業革命は蒸気機関がというわけでなく、こうした織物機械の発達が牽引していくわけなのです。
次に、1765年ジェームズ・ハーグリーブスが紡ぎ車の一を垂直から水平へと変更し、車輪の上に更に車輪を積み重ね、同時に8本の糸を一度に紡ぐことが可能になりました。最終的には一度に80本まで織り込むことが可能に!この装置の名前をジェニー紡績機と親しまれています。
一節には、ジェニー紡績機の由来がハーグリーブスの娘の名前がジェニーで、その娘が紡ぎ車を倒してしまったことから着想を得たという話があるのですが、真偽は定かではありません。
最後に、1769年リチャード・アークライトが水力による紡績機を開発。綿繊維を引き伸ばしより強い糸が生産できるようになりました。これによって布の品質が格段に上がりました。

蒸気機関と産業革命

どんな機械の発達があったとしても、産業革命のコアは蒸気機関です!
実は、蒸気機関は紀元前200年に既に存在していました。それは、アレクサンドリアの英雄が娯楽のために蒸気機関を開発したと言われています。その他にも同じようなモデルは作られたのですが、機械的問題を抱えていました。
ついに、1765年ジェームズ・ワットが動作可能な蒸気機関を開発しました。その後1776年に、ワットは、蒸気機関を鉄工所のジョン・ウィルキンソンへと販売しました。

ちなみに、請求するべき金額がわからなかったので、蒸気機関が馬の働きに換算すると何頭が同等になるかという評価によって図られました。これは以降の機械エンジンにおける馬力の由来なのです!!

ワットの蒸気機関の発展

初期のワットの機関は水を汲み上げることや、金属を溶かすための溶鉱炉への送風機としてしか使われていませんでした。これを利用していたのが、先程お話した、ジョン・ウィルキンソンさんなのです。
1781年ワットは偉大な技術革新を成し遂げました。それは、駆動レバーの上下運動を回転運動に変化させたことです。ようやくこの回転運動への変換がみなさんがイメージしている蒸気機関につながっていくのです。
長い道のりでした。産業革命を蒸気機関のおかげで発達しましたというのですが実はこのような背景があったのです!

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マネジメントの始まり:生産の第4の要素の登場

長らくおまたせいたしました。いよいよマネジメントのお話です。

産業革命以前、
経済理論は2つの生産要素に注目していました。
1.土地
2.労働
要するに、良い土地(肥沃な大地)に作物を植えて、育てて収穫(労働)することで大量に食物などの生産物を作ることができました。痩せた土地では同じ広さの面積の土地を持っていても生産量が異なってきます。このようにかつては土地をかなり重要視してきていました。特に、フランスの昔の経済学ではこの土地が富を生み出すのだ!という考え方の重農主義という経済学派がいたぐらいです。ちなみに、経済表で有名なフランソワ・ケネーさんが重農主義の中心人物です。

その後、教会との結びつきが緩まった事により第3の要素が登場しました。
3.資本
私有財産により産業が発達していったということをお話したとおり、この資本というものも生産には必要不可欠になります。資本がなければ先程紹介したような機械も労働力も買えませんからね。

その後、ジャン=バティスト・セイが第4の生産要素を発見しました。
4.「冒険家(起業家)」
いわゆるアントレプレナーのことです。この冒険家は、自らが管理や制御することが出来なくなってきます。その時、自分の右腕となる部下に対して幾つかの活動を委任することが必要となります。

起業家は多くの手を使用しなければなりません。
手というのは、原料を買うか注文すること、労働者を集めること、消費者を見つけること、社会規律や経済に対して厳密な注意を与えることこれらをこなす必要があります。
これらを監督と管理のコツを心得ていなければならないということです。キャパオーバーになったときにこれらの手を委任していくことになります。

労働や雇用の問題

マネジメントには労働や雇用の問題は切っても切り離せない存在です。

事業発展のためにアントレプレナーが事業に投機を行う決定を行うと、資本は機械、建物道具などを購入するために増加していきます。
一方で、機械を操作するあるいは必要なタスクを果たすために従業者が雇われなければ、このことが現実になることはまったくありません。しかし、この労働力を強化(使えるものに)するにはとても容易ではありません。
労働問題は3つのポイントがあげられる。
1.雇用
2.訓練
3.モチベーション
非常に良い設備を所有したとしても、アントレプレナーの課題は質の良い労働者を探すところに焦点が当たりました。
雇用の問題だけで多くの側面を持っています。既存の労働力は、主として技術の無い農業従事者からなり、小規模の作業場、農場あるいは家族でする仕事からの転換、それらの人々にとって劇的なひとつでありました。
彼らは、長く親しんだ環境から離れ、喧騒で雑踏とした街へ働きに出なければなりませんでした。ビジネス研究の第一人者である、アンドリュー・ウレやその他の識者は、工場労働は家内や農業生活に習慣づけられ、工員職の単調さや通年の時間規則、彼らの仕事に注意を向ける不断の要求を好意的に見なさない典型的な従業者と適合しないことを訴えました。これまでの生活とのギャップに疲れてしまうんですね。
その結果、従業者たちは、落ち着かず、怠惰で、常軌を逸する傾向にありました。もともとの環境から急な”働き方改革”により彼らは、マネジメント的には怠惰的な態度をとってしまうんですね。
その態度に困った経営者がやったこととして挙げられる例は、ローバックとギャレットの工場をイングランドのバーミンガムからスコットランドへと移転してしまいました。
なぜ違う地域へ?と考えてしまいますが、スコットランド人はより信頼性があり、より素直だからであと彼らは言いました。その当時の研究者は、イングランドの初期織物の織工達を従順でないと言ったそうです。大部分は、彼らはピューリタンであり、工場支配と彼らの所属するキリスト教(清教徒)の考え方の違いだっただけのようです。こうした、宗教上の考え方の違いがこの後、マネジメントに大きく影響を与えることになります。

まとめ

今日は、産業革命は機械の発展とともに進んでいったことをお伝えしました。産業革命が起きたことで、アントレプレナーと元農民の工場労働に慣れない労働者が出てきました。
アントレプレナーは事業を発展するために、数多くの労働者を雇い、機械を使わせて生産を拡大してきました。しかし、元農民の工場労働に慣れない労働者たちは、他人に縛られたり時間に縛られるこのつまらない労働に反発します。こうした反発で生産に大きな影響を及ぼすことの想像は難しくありません。

次回は、この反発をなんとかしようとした、1人の経営者の物語を中心にお話していきます。フレデリック・テイラーです。科学的管理法を作り出した人で、テイラーシステムとして有名です。日本ではトヨタ型の生産システムに大きな影響を与えた考え方です。

次回もお楽しみに〜!

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