第7話:心理学と哲学をざっくり学ぶ(ほとんど認識論のお話)
どうもこんばんは!週明け早々疲労困憊☆
前回のおさらい
前回までは、マーケティング研究に必要な5つの学問の中の社会科学の分野についてお話してきました。経済学、経営学だけでなく、社会を見ていく学問を見ていくことでマーケティング論研究に活かしたり、マーケティング活動に活かすことが出来るというお話でした。今日は心理学と哲学についてお話しますが、哲学についてが中心となりますのでご了承ください!
心理学について
心理学は、マーケティングで一番利用されている学問なのではないでしょうか?前回もお話しましたが、心理学はマインドコントロールの方法を学ぶことと勘違いされがちなのでちょっとやだなーと思っています。
原理原則でいいくと、ある人が外部からの刺激を受けることでどういう反応を見せるのかということを学ぶ学問だと思ってください。
例えば、図の通り、ある人が他人から突然突き飛ばされるとします。そのとき突き飛ばされた人はどういう心的状態になるでしょうか、その上でどういう行動をするのでしょうか?
ここで言えば、怒りという心的状態になって、反撃をするためにモノを投げつけようとする行動を取るでしょうとしています。この一連の研究を指します。
同じく、マーケティングに置き換えても、アイスの広告を出稿しました(外部からの刺激)。その上で、消費者は、アイスがほしいという欲求が高まるという心的状態になって、コンビニに買いに行くという行動を取ります。
そんな単純な話ではないのは皆さんご存知の通りだと思いますが。
この原理原則を頭に入れておくことで、心理学を利用するときにマーケティングに応用しやすいと思うのでこれを機会に覚えてくださいね!
哲学について
哲学はもともと学問全般のことを指していました。英語のphilosophy(フィロソフィ)はギリシャ語「philosophia (知を愛すること)」が語原の言葉で、これは「知恵(sophia)」+「愛するphilein」の語から成り立っています。
世界・人生などの根本原理を追求する学問で、いわゆる哲学的な命題を検討するのが哲学です。多くは、「認識」だったり、「出現」などを問うことが多いのが哲学です。
ちなみに、東洋大学の学祖の、井上円了さんは「諸学の基礎は哲学にあり」というぐらい、哲学を重要視したことで知られています。
僕も、5つの学問の中では最も重要視したい学問が哲学です。
「“自己”や“私”とは?」
さて、ここで、1つ考えて見てほしいことがあります。
「“自己”や“私”とは?」
ひと言で答えてください。
さて、どうでしょうか?
この問の解説をしていきますね。
AさんとBさんががいます。
自分(自己)はAさんだと思ってください。AさんにとってはBさんは他人(他者)ですよね。さらに、BさんにとってはAさんはは他人ですよね?
つまり、「私(自己)」という存在を確認するためには、「他人(他者)」を一度挟んで、他者にとっての他者と認識する必要があります。これが「私(自己)」なのです。
こういったことを考えるのが「認識論」というお話です。
何がりんごで何がそうでないか
次の問題を見てみましょう!
上の画像を見てください。
左上から何を表しているのか考えてみてください。
左上から1とすると、
「1はアップルのロゴマーク、2はりんごの写真、3はりんごの絵、4は多分りんごの絵、5は赤い丸。」ある人は答えるでしょう。
また別の人は、「1から4までをりんごと回答、5は赤い丸」と答えるかもしれません。
人によって、また知識レベルによって認識するレベルが異なります。また文化によって認識が異なる事も知られています。
例えば、虹の色。みなさんは虹の色は何色だと思いますか?当然7色ですよね?でも、欧米諸国では6色と答えるそうです。アフリカのある民族は100色に分けられるらしいです(聞いた話によると…)。
認識の違いって他にも例があって、机と椅子の定義の問題。
椅子も机もどちらも物書きすることが出来るし、座ることも出来る。さすがに背もたれがついていたら無理だけどスツールだったら机って言ってもおかしくはない。もうなんのこっちゃですよね!
でも、ここを一度ちゃんと考えるのがとても大切で、当たり前の当たり前じゃない部分を取り出す作業をしているかしていないかで発想の柔軟さが変わると思っています。
マーケティングにも“認識”は大切
もちろんこの考え方はマーケティング活動でも必ず考えておくべき発想です。
刺激(外部情報)を消費者がテレビの広告や店舗にある商品などから受けることは、まずその広告や商品を「認識」するところから始まります。認識してもらうことをしないと買ってもらえません。その認識は、機能まで認識される必要もありますよね。
では、製品を見たときに機能まで認識させるためにはどうすれば良いのか?それが「ブランド」や「ブランディング」と言われているものになるのです。ビジネスパーソンはよく「ブランディング」をクールなデザインにすることだけを指してしまいがちですが、マーケティング論の分野でいうと製品やブランド名、ブランドロゴを認識したときに想起されることまでを担わなくてはいけないです。
これまでお話してきたりんごと見ている主体(私)のお話ですが、あえて、別々のものとして取り扱ってきました。これを主客二元論と言って考え方の1つでしかないんですよね。この論理を取っているのが僕の経済学の考え方の中心にあるマルクスも同じ論理を取っています。これを唯物論といいます。
しかし、上の画像に書いたとおり、主体と客体は本当に一線を画することが出来るのかという疑問を持つ人もいるかもしれません。いい疑問だと思います。見ている主体(私)の意識が作り出している物体なのだと言う考え方もあって独我論という名前がついています。要するに認識論1つとってもいろんな考え方があるということですね。
その疑問をもったまま、上の画像について考えてみてください。
これは、棘が刺さってしまった人の絵です。
棘が刺さっている人の認識について考えてみてください。
こういった見方ができるのではと思っています。
トゲに対する感覚は「”指先”の感覚」でもあり、
「指先に刺さっている”トゲ”の感覚」でもあります。
では、先程のリンゴの例で言うとリンゴを見ることにおいて、リンゴから伝わる「光の伝達」を考えると、距離はあれども光の伝達として主体である私と、客体であるりんごは触れているようなものです。
そこでもリンゴと自己は「一線」を画することができないと思いませんか?
「消費者」と「財・サービス」の二項関係のあり方について考えてみてください。世の中にはいろんな主体と客体が存在していてどういう関わりを持っているのかということを覚えて帰ってください。
まとめ
哲学、とりわけ認識論はマーケティングに必要になってくるので深く学ぶことをおすすめします。例えば、教科書的なマーケティングのいいところ悪いところがわかるようになりますし、今日のマーケティングのプラグマティズム的な発想を批判するときにこれをわかっていると強い武器になります。
さあ、第2章は今日でおしまいです!
次回からは、マーケティングと経済学についてお話してきます。ちなみに、第2章と言いましたが全部で12章構成ですのでまだ始まったばかりです!皆さんついてきてくださいね笑
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