僕は母が泣いているのを見たことがない
同世代に「母親」が増えた。
30代だ。当然のことだと思う。
「子供を風呂から上げたあとあまりの寒さと子育ての辛さで涙が出てきた」
「子連れで買い物に行ったら一杯一杯になってしまって泣きながら帰った」
そんな話を彼女たちから聞くことがある。
そうか、母親だって辛かったら泣いたりするよな。
そんな当たり前のことに気付かされる。
そしてふと思う。
僕は自分の母親が泣いているのを見たことがない。
僕は長らく「母」とは泣かない生き物だと思っていた。
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幼少期、絵に書いたような泣き虫だった。
父の仕事の都合で海外に住んでいた時期があったが、現地の幼稚園に通い始めた日、言葉が通じなくて8回泣いたらしい。カウントしている先生も先生だが、それを聞いた母は「あらまー、8回」と笑い飛ばしたあと、大変だったねぇ〜と微笑んでいた。
運動もできなかった。
持久走でビリになって帰ってきたことがあった。
スタートと同時に転んだ友達のケアをしていたら、あっさり最下位になった。ずっと不貞腐れていた僕に「優しいね、草彅くんがやってるドラマの『いいひと』みたいだねぇ」と、母は笑顔で言った。それでも機嫌の直らない僕に「じゃあ、今日は思いっきり、うわーーーんって泣いていいよ」と言ってくれた。その言葉のおかげで、堰を切ったように涙が流れ出したのを覚えている。彼女は文字通りうわーーーんと泣く僕を笑顔で見つめ、ゆっくりと背中をさすった。
いじめをしていたこともあった。
友達がちょっと高価なボールペンを使っているのが気に入らなくて(小学生のいじめの理由って本当にくだらない)そのボールペンをバラバラに解体して捨ててしまった。相手の母親から僕の母へと電話がかかってきた時、どれだけ叱られるだろうと、気もそぞろで通話が終わるのを待った。
「なんていうメーカーのボールペンだった?」
母が聞いたのはそれだけだった。しばらくして、友達が持っていたのとおんなじ「Harrods」と書かれたボールペンを買ってきて、僕を連れて謝りに行った。僕が彼に謝っている間も、母は「ごめんなさいねぇ」と言いながら笑顔だった。
最後まで母は僕を叱らなかった。
母は何が起きても動じない。笑顔を崩さない。
泣き虫の僕を産んだとは思えないほど、からっとしていた。
「母親」は、泣かない生き物なんだ。
いつしか僕はそう思い込んでいた。
母は泣かないどころか、時に感情を伝えることに躊躇のない人だった。
小学校の卒業文集には、親からの寄稿を掲載するページがあった。おそらく母が書いたであろう僕のページには「君が好きだ」と繰り返し書かれた、詩のような文章が寄せられていた。「伊東家の食卓で紹介された裏技を、放送後すぐに試している君が好きだ」というフレーズが忘れられない。卒業当時はこっ恥ずかしくて、ろくに読まずに閉じた記憶がある。今なら辛うじて読める。多分。
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中2の春、ちょっとした事件が起こった。
仲の良かった女友達と(もうどうしてだったか思い出せないけれど)突然関係がこじれて、しばらく彼女から無視をされるようになった。僕も意地っ張りなので、毎日しつこく「おはよう」とか「元気?」とか彼女に声をかけ続けたが、それと張り合うようにシカトは続いた。少しずつ心が消耗していくのがわかった。
そして僕はあろうことか、このストレスを母親に向けてしまった。
「僕だって辛いんだから、母に同じことをしても許されるだろう」
筋の通っていない稚拙な理屈で、その日から僕は母親を無視するようになった。
「今日の伊東家、録画しようか?」
無視。
「試験勉強は順調?」
無視。
「晩ごはんはロールキャベツだよ」
無視。無視。無視。
タイムマシンがあるのなら今すぐこの頃に戻り、当時の自分を腕がちぎれるまで引きずり回したいと思っている。
きっと「誰かに無視をされる」なんてことが初めてで、どう対処したら良いのかわからなくなっていたんだと思う。同じことを誰かにやり返して、自分がされていることは異常じゃないんだ、普通のことなんだ、と言い聞かせたかったのかもしれない。しかし愚かな中学生は、やり返す相手を決定的に間違えた。
本当はただ、泣けば良かったのだ。
また母親の前で
思いっきり、うわーーーんって。
母はそれでも笑顔で僕に声をかけ続けていた。
「ズボン穴開いているから縫っとこうか」
「明日のトリビアの泉は見る?」
「今日のお弁当は残さないでね」
母親を無視し続けてしばらく経ってから、突然担任の先生に呼び出された。
「保護者会のあと、上原くんのお母さんから『ちょっと相談があるんですけど』って言われてね」
徐々に上がっていく心拍数。手のひらに嫌な汗が滲む。
「なんか最近、お母さんと会話してないんだってな?」
反射的に母への怒りが湧く。担任に言いつけるのはナシだろ。
「お母さん、話しながら泣いてたぞ」
頭が真っ白になった。
母が泣いていた?
母親は、泣かない生き物じゃなかったのか。
そこからは、とてつもない後悔と、自分に対する怒り。
それでも担任の先生に全てを正直に話すことはできず「最近体調が悪かったのに、あんまり構ってもらえなかったのでうっかりやってしまいました」と言った。(この頃の自分はどこまでも姑息だ)
担任の先生から報告を受けた母は「ごめんね」と言いながら僕を抱きしめた。彼女はいつも通り、涙とは無縁の笑顔を浮かべていた。
僕は最後までごめんなさいと言うことができなかった。そのことを未だに後悔している。あの時「ごめんね」言われる前に、自分が言わないとダメだったと思う。
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あれだけ泣き虫だった僕は、大人になってからうまく泣けなくなった。
悲しい感情が芽生えたとしても、それを素直に涙で表現するのが少しずつ困難になった。その代わりに意味のない愛想笑いや、その場を取り繕う言葉が反射的に出力されてしまう。悲しみを「悲しみ」として表現できる場面は貴重になった。
母さんの笑顔も、もしかしたらそういうことだったのかもしれない。
きっと心では沢山泣いていたんだと思う。
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先日、母が泣いているのを初めて見た。
相手がいることなので詳細は控えるが、僕は既婚者から独身に戻ることになった。その報告をしに実家を訪ねた時「うんうん」と言いながら目に涙を浮かべていた。母は泣いているときも笑顔を崩さなかった。そんな笑顔はずるいと思った。それにつられて、僕もちょっとだけ泣いた。
そうだよね、やっぱり母親だって涙を流すんだ、当たり前だよ。
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「伝えたい思いは伝えられるうちに言う」
これを僕は、全人類が守るべき重要なルールだと思っている。そのことを僕に教えてくれたのは、あの卒業文集と、中1のときの苦い経験だ。
言えなくなってからでは遅すぎる。
お母さん、いつもありがとう。長生きしてください。
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