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自己肯定感の低さに殺されそうだった僕が、夢を叶えられたのは。


はじめまして、漫画を描いています、うえはらけいたです。
本日、生まれて初めての単行本が発売になりました。

3回も泣けるかどうかは保証できませんが…

 

この作品は、去年の4月にnoteとtwitterで自主的に連載していた「コロナ収束したら付き合うふたり」という漫画を書籍用に再編集したもの。(全ページ修正して、描き下ろしも描いたよ!フルカラーだよ!!)

漫画家になることを目指してこれまで活動してきたので、この本の出版は大げさに言えば「夢が叶った瞬間」とも言える。ただ「夢が叶った」のは、紛れもなく本当(ガチ)の本当(ガチ)に、皆さんのお陰だ

「悪いけど、君のことは今知ったので、私は関係ないと思う」
そう言う人もいるかもしれない。それでも僕は「あなたのお陰だ」と言い張りたい。

事実、そうなのだ。

今日は、そんなあなたにお礼を言うために、ここに至るまでの話をさせてほしい。

* * * * * * * *


2018年、「漫画家を目指します」と宣言して、僕は当時いた広告会社を辞めた。自分にとっては育ての親のようにお世話になった会社で、本当に素敵な人しかいない場所だった。すごい変なタイミングで辞めたので色々な人に多大な迷惑をかけたし、具体的な損失すら出るような状況だったと思う。それでも誰一人怒ることもせず(影では怒ってたのかもしれないけれど)「漫画がんばれよ」と言ってくれたのが、涙が出るほど有り難かった。


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最終日、笑顔で送り出してくれた時の写真。雰囲気で感じ取ってください。


とは言え潤沢な資金も実績も無い僕が、漫画で突然食っていける筈もない。そこからしばらくは自由な雇用形態の別企業に勤めて、デザイナーの仕事でお金を貯めながら漫画の仕事も受ける、という生活を始めた。

この会社の人たちも、やはり良い人ばかりだった。会社の仕事そっちのけで漫画を描いているような僕に応援の言葉をかけてくれたり、なんなら漫画案件に繋がりそうな仕事を紹介してくれる人すらいた。僕は第3村の碇シンジくんのように「何でみんな…こんなに優しいんだよォオっっ!!」と咽び泣きながら漫画を描いた。(わかんない人ごめんなさい)

 

しかし僕は、いつまで経っても、自分のオリジナル作品を完成させることができなかった。

 

誰かに依頼されて描く広告漫画、WEBメディアに連載する教育マンガ、そういうヤツなら何とか納品できる。それでそこそこのお仕事を貰っている時期もあった。だけど、本来自分が一番描きたいはずであるオリジナルのストーリー漫画となると、ピタッと筆が止まってしまう。

僕は少しずつ焦り始めた。貪るように脚本術の本や、漫画関係の入門書を読み漁った。漫画家育成の専門講座に通ったりもした。それでもやっぱり、描けないのである。

この頃は「漫画描いてるの?」と言われるのが怖くて、とにかく広告案件の告知でタイムラインを埋めようとしていた記憶がある。


「まだ十分な時間が足りないのかな。」
そう思った僕は、2020年に入ってすぐ、ついに転職先の会社も退職することにした。完全に漫画だけと向き合わなければならない状況に自分を追い込んだのだ。

 

 

 

それでも描けない。
自分が一番描きたいはずの作品が描けない。

 

いよいよ怖くなってきた。
あれ、もしかしてちょっとメンタルヤバいのかな、と思い悩んだことすらあった。


「創作活動と自己肯定感の関係性」について考えるようになったのは、この頃からだった。

 
 

自慢ではないが、僕は子供の頃から自己肯定感のすこぶる低い人間だった。体が弱かったのが一番の原因だと思う。でも、それは社会人になって仕事を始めてからより顕著になった。

先輩の言うことに絶対に反論ができない。他の人のアイデアを押しのけて自分のアイデアを推すことができない。だって、僕なんかが、他の人よりも優れている筈がないのだから。

そんな考え方を、疑いもせず、当然のようにして生きてきた。
悲しきかな、その考え方は今や僕の一部のようになっていた。

やるべきことをリストアップすると、どうしても自分の作品作りはリストの最後になってしまう。せっかく誰かが僕に依頼してくれた仕事より自分の制作を優先させることが、どうしても僕にはできないのである。

誰に頼まれるわけでもなく、
自分の為に描くものに価値なんてあるんだろうか。

 

 

このままでは、この自己肯定感の低さに殺される。

どうして漫画家なんて志してしまったのだろう。

僕は途方に暮れてしまった。

 

 

そんな感情と呼応するように、いつの間にか世の中には緊迫した空気が充満し始めていた。
時は2020年4月のことである。


初めての緊急事態宣言が発令されたとき。
Twitter上はかつて無いほどに殺伐としており、もしも手を突っ込んだら傷だらけになるのではないかと思うほど、誰かを傷つけようという意図に満ちた言葉が飛び交っていた。

その刺すか刺されるかのインターネットを眺めながら、僕は自分が漫画を描けなくなっていることも忘れて、こう思うようになっていた。

「この空気を1ミリだけでも、漫画の力で変えられないだろうか」

 

ほんの少しでも癒やしになればいい。
読めば誰もがコロナの収束を待ち遠しく思えるようなヤツがいい。

SNSを開くたびにイライラして仕方がなくなっている人。
暗い話題ばかりの風潮にうんざりしている人。
誰かの心ない言葉に傷ついている人。

 

そんな人のために描きたい。
そんな作品は今この瞬間すぐに必要だから、優先順位はどんな仕事よりも上だ。

 

 

気づくと、机の前に向かっていた。

何か描かなきゃ。
自己肯定感がどうとか視野に入らないくらい、「描かなきゃいけない」という気持ちが充満していた。結局、ストーリーのアイデアを思いついて、第1話をアップしたのはその日のことだ。


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第1話のツイート。アップした当初読んでくれた人は、100人にも満たなかったと思うけど、後々色んな人の目に触れる機会を貰った。


残念ながら人間は、そう簡単に変わることはできない。

それまで劣等感のかたまりだった人が、誰かの言葉をきっかけに生まれ変わる…なんてのは、やはり物語の中だけの話だと思う。
でも、そう簡単に本質を変えられない人間だって、考え方ひとつで行動を変えることはできるのだ。

「自分のために作れないなら、誰かのために作ればいい」

言葉で表すと、極めてありふれた、チープな映画のセリフのようだけど。
あの日自分を突き動かしたのは紛れもなく「これ」だった。



僕と同じように、自己肯定感の低さからモノ作りの手が止まってしまっている人は居るだろうか。もしこれを読んでいるなら、一度「誰かのために作る」という選択をしてみてほしい。
こじつけでも良い。どんなに独りよがりでも良い。僕のような、みっともない使命感でも良い。
どんな動機であれ、作ってしまえばあなたの勝ちだ。
生まれた作品は、しっかりとそこに残るのだ。

 

長くなってしまったけど、結局言いたいのは、この作品はあの日WEB上にあなたがいなかったら生まれていなかった、ということ。

「知らないよ、こんなマンガも読んでないし。」と思うかもしれないけれど、それでも僕は、紛れもなくあなたの為にこの作品を描いていた。

だから改めて伝えたい、この漫画を生んでくれてありがとう、と。

* * * * * * * *

 

ちなみにそのマンガ、今はここで冒頭部分が公開されている。

良かったらぜひ見てみてください。
作画は子どもの落書きみたいなレベルだし、ぶっちゃけストーリーもそこまで独創的なものではない。もしこれから何かモノ作りを始めようとしている人が居たら、コレを見て自信を付けてほしい。こんなクオリティでも良いんですね、って。

さあ何でもいいから理由をつけて、作りましょう。そして続けましょう。
ちょっと運が良ければ、それが賞を取ったり本になったりすることもある。
モノ作りはキツいことばっかりだけど、ときどき幸せな世界です。


「漫画家を目指します」と宣言してからおよそ3年。
僕は、あなたのお陰でようやく1つの夢を叶えることができた。

 

 


 

 

 



3年???

 

 

 

 

 

 

時間かかりすぎ

 

いくら悩んでたとは言え、3年は長すぎでしょwwww
これからはもっと制作ペース上げないと!!

それに正直、これくらいじゃ全ッッ然、満足していない。夢が叶った?いやいや、これはようやくスタート地点に立っただけの話だ。やっと漫画家を名乗れるようになった今、その先でやりたいことなんて無数にあるわ。

ルックバック、皆さんも読みましたよね?あんなもの見ちゃった日には、もう「自己肯定感…」とか言ってないで、とにかく血ヘド吐くまで描けよって話でしょ。

「夢」 は1つ叶えると無数に増える、ねずみ講も真っ青の呪いみたいですね。

では、今後のうえはらけいたの作品にどうぞご期待ください。




おしまい

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