水どろぼう
JAAA(日本広告業協会)さんから「広告業界で得たノウハウがどう今の仕事に生きているか、エッセイを書いてもらえませんか?」という連絡を受けて、頭を抱えている。
あーーーごめんなさい、僕にはそんな感じに胸を張って語れる美談は何一つありません。なにしろ僕は広告業界を離れ漫画家業を始めた自分のことを、どろぼう野郎だと思っているのですから。
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博報堂に入社したとき、何よりも驚かされたのはこの業界の底抜けな懐の深さにだった。誰もが持っている物を惜しみなく分け与え、それを当然のものと信じて止まない。
入社して最初の三ヶ月で実施されたクリエイティブ研修では、社内トップレベルのクリエイターの皆さんが講師を務めてくださった。彼らは新人の書いた地獄みたいに酷いコピーを(もちろん無償で)一枚ずつ丁寧に講評してくれた。良いものを選ぶ。悪いものはどこが悪いのかつぶさに指摘する。そしてどうすれば良くなるかを徹底的に考える。そんな細やかな指導が日夜繰り広げられた。「しょせん研修だから、ほどほどで良いよな」などと言う講師は一人も居なかった。
一度、研修期間中にあまり評価してもらえなかったボディーコピーを、後で書き直してメールで講師の方に送ったことがある。相手はF部さんという、社内のエースクリエイター(今はもう「エース」とかいう問題ではないレベルの方ですね…)。スルーされて当然と思っていたが、驚くことに彼はそのコピーに入念な添削を付けて返信してくれた。
「コピーはまだまだだけど、そのガッツはいいね」と締めくくられたそのメールを、僕は印刷してお守りのように持っていた。
そんなエピソードすら当たり前に感じてしまうほど、その後も業務を通じて先輩上司、営業や事務の方まで、僕に無償で色々なものをくれた。
彼らにとってはそれが、水のように分け与えて当然のもののようだった。
しかし貰う側から与える側になるのを待たず、僕は五年で業界を去ることになる。絵を描くことを仕事にしたくて美術大学への再入学を志したからである。
「育ててやった恩はどうした」などと言う人は一人もおらず、仕事で関わったあらゆる方が「頑張ってね」「応援してる」「いつでも相談に乗るよ」とメールをくれた。去り際まで、飲み干せないほど大量の水を与えられてしまったと思った。まるでその水を備蓄して少しずつ飲むかのように、僕はこの時貰ったメールを定期的に眺め、励まされながら美大の受験対策を乗り越えた。
実を言うとその後、僕は紆余曲折を経てもう一度博報堂に入社している。呆れるような話だが、今度はどうしても漫画家になる夢が捨て切れずたった半年後に二度目の辞職願を提出することになった。
さすがに今回は誰からも応援されないだろうし、最終出社日まで腫れ物のように扱われるだろうと思った。退職の意志を告げた翌日、上司から呼び出しを受けたので「お説教かな」と恐る恐る会議室に顔を出した。すると待っていた彼は笑顔で言った。
「送別会をしたいんだけど、いつなら来れそう?」
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編集者の方に「うえはらさんの漫画は、あなたの優しさが滲み出ていますね。」と言って頂いたことがある。その言葉が事実なら、それは広告業界の人々のお陰に他ならない。僕自身の人格が優しい作品を作っているのではなく、僕はあくまで広告の人たちが与えてくれた優しさを作品の中に描写しているだけなのだ。
僕は広告業界から水を与えられるだけ与えて貰ったのに、それを返すことなく去ってきた「水どろぼう」に過ぎない。
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