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ありがとう。



先日、うーちゃんが空へと旅立っていきました。



まずはずっと応援してくれていたみなさま、心配して見守ってくれていたみなさま、本当にありがとうございます。



最後の日の夜、おとなしく寝ていたはずのうーちゃんが急に部屋から出てきたと思ったら、なにか言いたそうにこちらを見つめていて、そのまま僕を導くように部屋まで這っていき、その場で倒れてしまいました。



抱きかかえようと持ち上げた瞬間に不思議と、でもはっきりと、もう最後なんだなと分かって、まるで最後の力を振り絞って僕を呼びに来てくれたような、そんな気がしました。



おかげで最後のその瞬間まで側に居ることができたし、言葉をかけることもできました。



浅い呼吸と荒い呼吸とを繰り返しながら、母の遺影を側に置いてあげると、安心したような顔をして息を引き取りました。




お葬式も手厚く行ってもらい、思い出のものや好きだったおやつと一緒に、読めるどうかもかわからない手紙を入れました。



猫に手紙を書くなんて自分でも笑ってしまうんだけれど、伝えたいことがまだまだたくさんありました。



火葬してもらい骨になったうーちゃんは、いま母の隣りで仲良く寄り添っています。




癌が発覚してから2ヶ月弱、正直もう少し長く一緒に居られたらなと願っていましたが、うーちゃんにとっては痛みもあっただろうし、辛かった期間だと思います。


胃瘻チューブを設置したこともうーちゃんにとって良いことだったのか本当の所はわかりません。


言葉が通じない以上、どんな治療や延命の手段を選ぼうとも結局は飼い主のエゴだと僕は思っていて、そのエゴを貫く代わりにとことん最後まで向き合うことが責任だと思ってやってきました。

そんな中、日々の闘病に耐えて必死に生き抜いて、最期も力を振り絞って僕を呼びにきてくれて、ほんとに強くて優しい子なんだなと、親バカながらそう思わずにはいられません。



もともとは亡くなった母の飼い猫を引き取るという、ただそれだけのことだったはずなんですが、いつのまにかうーちゃんの存在は僕にとってかげがえのない、生きがいになっていました。



それだけにどうしても今は、僕も心が脱け殻のようになってしまっていて、悲しくて寂しいです。



でもきっと、うーちゃんが僕のもとへと来てくれたことにも、一緒に過ごした時間にも、そして居なくなってしまったことにも、僕にとってすごく大切な意味があるんだと思います。



まるでうーちゃんが「これからはもっと優しく生きていくんだよ」と教えてくれているような、そんな気がしています。



元気だったころにも愛らしさや癒しをたくさんくれたし、闘病生活も僕にとっては子供ができたような感覚に近くて、毎日があったかくてきらきらしていました。



だから寂しくても悲しくても、不幸ではないし後悔もありません。




そして、重ねてになりますが、うーちゃんのことを見守ってくれたみなさま、応援してくれたみなさんに心より感謝しています。



グッズやご寄付などの支援もたくさんの方が協力してくださって、素直にとてもありがたいし助かりました。



ペットに対してこのような支援を募ることには否定的な意見もあったと思うし、もう先が長くないことが確定しているなかで、残りの命の時間を応援してほしいなんていうのは、あつかましいんじゃないかという葛藤も少なからずありました。



けれどみなさんの協力が無かったら2ヶ月ももたずに衰弱していたかもしれないし、僕もみんなが気にかけてくれていたから前向きにがんばることができたんだと思います。



ほんとうにほんとうにありがとうございます。



長い時間をかけてにはなりますが、いただいた応援やお気持ちに対してはこれからの僕の活動や生き方で返していけたらと思っています。



これからもうーちゃんが教えてくれた大切な気持ちを忘れずに、優しく強く生きていけたらなと思いますので、引き続きの応援よろしくお願い致します。




ウエダケイタ

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