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クリエーティブのプロセスをクリエーティブに

第2回目は、あなたの企画の質を上げるアイデアをお伝えします。よりよい企画を出すために、よりよい企画の環境を作るというお話です。

イラスト:小路翼

供給の足りないところに供給を

 大阪と東京の広告クリエーティブの現場にいたぼくはある問題意識を持っていました。東京にクリエーティブが集中しすぎている。しかも、それは需要を超えているのです。

 例えば、A社の新製品が発売される。新発売キャンペーンの競合プレゼンがあったとする。電通、博報堂、アサツーディ・ケイ、大広などの総合広告代理店から、クリエーティブ・ブティックとよばれる、小さなプランニング専門の会社まで、様々な広告会社が競合プレゼンに参加する。例えば、5社が呼ばれたとします。各社が5案ずつ提案する。そうすると25案提案されたことになります。そこから選ばれる案はたった1案。各チームでは提出した5案以外にもっとたくさんの案が死んでいます。アイデアの切れ端も含めるとおそらく200案ほど。すると採用される確率は1000分の1。しかもその1案によいものが選ばれるとは限らないのです。

 商品の需要より供給が多いと値段が下がるように、クリエーティブの供給過多が値段と質を下げています。しかし、地方にはクリエーティブの供給が圧倒的に少ない。しかし、需要はたくさんある。企業はもちろん、地方はたくさんの問題を抱えている。広告クリエーティブで解決できることは多々あります。しかし、供給はない。もし、少しでもクリエーティブの供給があれば、それはすぐに採用される。乾いたスポンジが水をたくさん吸うように、アイデアが吸収される。

 つまり、クリエーティブを地方に供給するとよい案が通る。東京に行かずとも、地方でおもしろいことができる。広告クリエーターはほとんどが東京に憧れます。東京に行けばもっとおもしろいものが作れるのではないか。もっとクリエーティブなことに理解あるクライアントがいるのではないかと。実際にぼくもそう考えていました。しかし、地方には圧倒的な需要があるのです。だからこそ供給をしなくてはいけません。アイデアの供給があれば地域がよりよくなっていく。例えば、鹿児島ではデザイナー有志たちが「OSHIKAKEデザインかごしま」というグループを作り活動しています。”求める声のないところにこそデザインの力を”をコンセプトに、誰にも頼まれてもしないのに、地域におしかけてデザインの力で地域をもっと元気にしようと活動しています。温泉街のポスターを作ったり、漁船の大漁旗のデザインをしたり。OSHIKAKE デザインかごしまはまさにデザインがないところに押しかけてデザインを供給しています。

クリエーティブのプロセスをクリエーティブに

 商店街ポスター展の成功でぼくは広告制作者のポテンシャルを信じられるようになりました。自身も含め広告制作者は、アート、テレビ、映画、漫画、文学などの他のジャンルの表現者に比べておもしろくないと思い込んでいたのですが、そうではないとわかったのです(事実、他ジャンルのクリエーターから広告制作者は蔑まれているところがある)。お金がなくても、タレントがいなくても、広告制作者が「通す」エネルギーを「作る」エネルギーに変えたならば、世の中を騒がせる強い表現ができる。有名クリエーターではなく、新入社員でもできるのです。広告クリエーターは他のジャンルの表現者たちに負けてはいなかったのです。

 しかしながら、まだまだ「通す」ことにエネルギーを費やさなくてはいけないのが現状です。作る:通す=5:5ぐらいでしょうか。場合によっては2:8ぐらいのときもあります。もし、作ることに集中できれば質は上がるし、労働時間も減ります。働き方改革の一つのあり方だとぼくは思っています。だからこそ、クリエーティブのプロセスをよりクリエーティブにしなくてはなりません。近畿大学国際学部の新聞広告ではお金をもらいながらも完全に自由に制作しました。すべてを「作る」に注ぎ込む。これが理想です。そこまでは難しくとも、大丸・松坂屋の100人のスタッフのポスターを制作した「輝く100人のポスター」ではサムネールまでは了解をもらってあとは自由にさせてもらう。「通す」に注ぐ力をなるべく減らす。ボランティアではなく、ビジネスの中でどこまでできるかを日々試しています。

質より量

 ポスター展の作品量は、他の広告キャンペーンに比べてとても多いです。新世界で約120枚、文の里、伊丹、女川では200枚ほどありました。選りすぐりの1枚や2枚を選んだとてこれだけ話題にはならなかったでしょう。200枚近いポスターがあったからこそ話題になりました。そのポスターの中にはあまりおもしろくないものも正直あります。でも、1枚1枚のポスターを吟味するよりも、連続してポスターを見て、その読後感がおもしろいならばそれでいいと思っています。三戸なつめちゃんのデビューソング『前髪切りすぎた』のMVも1本だけなら話題にならなかったでしょう。同じ曲なのに11本作ったからこそ話題になりました。質の高さよりも物量で圧倒したのです。

 今やアイドルグループのメンバーも48名いる時代。質より量の時代なのかもしれません。広告は新聞の1ページ、駅や電車の1スペース、テレビCMは15秒か30秒など、メディアには限りがありました。しかし、商店街にはスペースがたくさんあります。ウェブ上であればスペースには限りがありません。だからこそできることでした。一つの超高品質のものを見せるよりも、複数の高品質のものを見せるほうが心に引っかかりを残す。何より接触時間も長くなる。1本3分のMVを1回見たら3分ですが、10本みると30分です。

 質より量というのは編集者の都築響一さんから学んだことでもありました。都築さんのメールマガジンで写真家として連載していたとき、都築さんの指示は一つだけでした。「もっと写真を多く」。都築さんの原稿にはいつも膨大な写真の量があります。そこには1枚の写真だけでは到達できない域に達することができる世界がありました。

 0点から70点のものを作る労力と、70点から100点にする労力は同じであるとぼくは考えています。一つの合格点に達したものをさらに磨きあげていくのは時間がかかります。より細部にこだわらなくてはなりません。ポスターのレイアウトであれば数ミリ、映像でいうと0・1秒、文章であれば推敲に次ぐ推敲という調整作業です。そこには大きなエネルギーが必要になります。もちろん、最後の詰めは迫力を生みます。100点の作品は大きな力を持つ。それができてこそ職人です。一流です。しかし、ぼくはそれが苦手でした。細かな違いがあまり気にならないのです。必死になってそこにこだわっていても、見る人もその違いはわからないから力を注がなくていいではないかと思ってしまうのです。100点のものを一つ作るのならば、70点のものを二つ作ろう。一つにずっとこだわってるんだったら、もう1本作ってしまおう。質より量。たくさんの量を積み上げて、質の高い一つのものにする。それがぼくのスタイルになりつつあります。


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