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教育熱心は害であるか

昨日は男子校のバレンタインデーというグロい話をしてすみませんでした。

その記事を朝の電車で書いている時に、小学校受験をしたんだろうなーっていう親子がいて、

その子供は漢字テストがあるらしく、母親に漢字の問題を出されてその答えを母親の手のひらに書くというのをしていました

今日言いたいのは熱心に教育をすることが必ずしもその子の成長には繋がらない、ということです

僕はなにか教育論の専門家でもないし、子供を育てた経験のないただの高校生ですので、論理的な目線よりかは実態を知るという目的で読んでほしいです

それでですね、なぜ僕がこのような考え方をしているのかというと

  • 伸び代が少ない

  • 自分で勉強をする姿勢がない

と思っているからです

一つ目の問題点は伸び代がないということです

教育熱心な親というものは何かと子どもに課題を課してしまいます

すると短期的に見れば子供は成長すると思います。

テストでいい点だった、校内順位が上がっただとか。

しかし、なにか課題を課している状態というはいわばゴムをギューと伸ばしている状態です。

なのでそれ以上伸びることはないです

もっと伸びるためにはいったん緩まなくてはなりません。

目先の結果にだけ注力して課題を課していれば将来の大事な場面で力を発揮できるように力を蓄えておく暇がないのです

二つ目は自分から勉強する姿勢が無くなるということです

次々に課題がやってくるのでこの課題をやっていればいいんだという考え方になります

この思考の何が危険かというと、課題を何も出されなくなった時に何もできなくなります

課題がないから何もしなくていい、となります。

また、自分の好きなことにも打ち込めなくなりますね

教育熱心な親であればあるほど自分の子どもが好きなことでもそれが娯楽であれば禁止すると思います

好きなことが娯楽ではなかったときが本当に害です

何よりも課題を優先させる脳になっているので自分の好きなことであろうが、それの優先順位は下がります

自分の好きなことっていうのはアイデンティティでそれがないとその人の価値がないように僕は思ってしまいます。

結局あなたは何ができるの?

そう問われたときに勉強以外で言えるものがないのは致命的です

自分の好きなことっていうのはなんでもいいんですよ

天体観測でもカエルの飼育でもいいし、学校の周りの飲食店をめぐるとかそういうのでもいいです

なにか自分にしかできないことを持っているだけで強いです。

勉強と同じくらい大事です

その自分にしかできないことを無くしてしまうのが過度な課題だったり、過干渉です。

実は教育っていうのはするよりしないほうが良いのではないかと思います。

何か教育しなきゃという気持ちを抑えてあえてしない

ただ子どもが危ない目に遭いそうになったときに初めて何かをする

というのがいいです

僕の家庭もそうでしたが、本当にこれでよかったなと思っています

そうすると自然に自分にどうにかしようと考えるようになるし、実際に行動するようにもなります

教育っていうのは難しいですね

今後もなにか言いたいことがあったら教育の話はしていこうと思います



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