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【陶淵明を禅の文脈で床に掛けるべきか】

1. 背景 ~禅の切り口で語られる陶淵明の詩~

旧暦重陽(九月九日)が近づいてきた。今年は新暦で10/14がその日に当たる。茶の湯では五行棚・中置の季節。菊の節句だから、陶淵明(AD365-427)の有名な詩の一節を床に掛ける方も多いだろう。その一節とはこれだ。

採菊東籬下
書き下し文:菊を採る東籬(とうり)の下
意訳:東の垣根の下で菊を摘むと
引用元:Wikipedia 陶淵明

陶淵明が吟じた日常生活の情景描写(飲酒二十首 其伍)から一部を切り取って、掛け軸にして茶席に荘(かざ)る。この言葉をGoogle先生などで調べると、さまざまな禅語辞典に解説がなされている。以下のような具合に。

入矢義高監修/古賀英彦編著『禅語辞典』には、「陶淵明の有名な『飲酒』の詩の句。達磨が中国に禅を伝える以前に、淵明はすでに禅の体得者であったとする宋代の論者は、たいていこの句をその証拠として取り上げる」とある。【採菊東籬下、悠然見南山】
引用元:茶席の禅語選

しかしどうも私には、この禅の切り口で"採菊東籬下"が語られることには2つの観点から納得がいかない。

2.1  疑問①達磨以前の人物に対して禅の体得者認定

引用元でも書かれているが、禅を中国大陸に伝えた達磨(5c後半-6c前半)よりも前に陶淵明は生没しているにもかかわらず、つまり陶淵明は禅を知らないし修行をしたことも無いにも関わらず、彼は禅の体得者として描かれ、またこの詩は禅の真髄を表現しているかのような賞賛を勝ち取っている。禅の修行僧ですら禅の体得は困難であるにもかかわらず、いかにして陶淵明は禅を体得したのであろうか。あるいは、その禅の体得認定が、残された詩歌を読んだだけでなされるというプロセスは乱暴にすぎないか。禅僧は山門をくぐりの修行を積み上げて禅の体得者として認定されるのにも関わらず、この差はいかに。あるいは単に時代が下るに従って禅の修行体系が形式化し過ぎたということであろうか。そもそも、後世の新興宗教がその独特の思想で以って無関係の先人を評価認定するなど烏滸がましいにも程があると思うのだ。

2.2  疑問②禅宗の修行は酒は禁止されている

"不許葷酒入山門"という文字が禅寺の山門に掲げられているのをご覧になったことがあるかもしれない。これは、酒や臭いもの(ニンニク、ニラ、ネギ、ラッキョウ、ショウガ等)を口にしたものは山門をくぐってはいけないというルールである。翻って、"採菊東籬下"のタイトルをおさらいすると、飲酒二十種 其五 である。つまり、陶淵明が酒を飲みながら思いついたフレーズを書き溜めた二十ある詩のうちの五番目の詩である。繰り返す。
酒 を 飲 ん で 吟 じ て い る 漢 詩 な の だ 。
まるで禅が求める自戒とは程遠い。永平寺の雲水とはまるで違う。ここに禅の道に入ったことのない私はギャップを感じるのであるが、こういうことを書くと、”いや日常そのものが禅であり苦行だけを修行と捉えるのは表面的に過ぎる”と返されてしまいそうなのでる。であれば修行は必要不可欠ではない、という随分とあっさりした結論になってしまう。ノー勉で満点取れる人が居るならば、そもそも課題として必要なのだろうかという感じである。いやノー勉で満点の天才とお前を一緒にするな、という声も聞こえてきそうではあるが、やはりここに茶禅一味として禅が茶にとって必要と語られることに疑義が生じるのである。禅という方法論・手法を目的とするのではなく、"達観、諦念的な到達だけが必要であり、それに対して安土桃山-江戸時代の時点で確立されていた方法は禅だけだった"と言われればまだ理解できるのだが。

3.結言 良い感じに力の抜けたクタクタ感を楽しみたい

やはりこの詩は禅の視座から説くのではなく、酒飲みが酒によってその感受性を増強させながら描いた日常の一コマからその達観を捉えることができる詩、と受け取っておくほうが自然だと考える。感性のバケモノである陶淵明の、しかし歳を重ねて力の抜けたクタクタ感。ましてや重陽の茶事、酒を相伴し終わった後の抹茶を飲みながら、"飲酒二十首"の一節を菊とかけ、快楽の余韻に揺蕩う。それで十分ではないだろうか。

-終-
菊のイラストはリンク先の無償イラストを拝借しています。

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