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一円玉がススキノで泣いていた

ギャンブラーのイメージと言えば、勝負の中で一般的に考えられないような金を得たり動かしていたりするイメージがあるのではないだろうか?

一晩で億の金を稼いだ!
もしくはパチプロならば、攻略法で一日に数万近くを稼ぎ、月に200万のプラス・・・なんてイメージもあるかもしれない。


芸能人のカジノでの豪遊や映画やマンガの影響、そして確かに実際カジノでの攻略法を編み出して出入り禁止になるまで荒稼ぎした人達もいる。
そんなイメージが有るのはもっともな話。
そんなギャンブラーの一攫千金の話は庶民の夢だ。

ただ実は、俺自身はそこまでお金に対して執着心がない。

以前嫁との馴れ初め話を書いた時にもチラッと書いてあるが、
「毎日日銭を稼いでは、今日の飲み代と明日からの軍資金。あとは野となれ山となれだ。」
これで十分なのだ。

金のない時(今だが)に冗談で「高須院長が運転する車に轢かれそうになってる孫正義いねーかなぁ」なんて話もした。
助けりゃ御礼くらい貰えるだろって(笑)

でもだ。
一億くれるというならこちらから願い下げだ。
いらんのよ。手に余るほどの金は。

はっきり言ってしまえば、とにかく一番なりたくないものが「お金持ち」

貧乏は辛い。
それよりも何不自由のない暮らしはもっと辛い。
耐えるものがない生活に耐えられる気がしない。

嫉み妬みの類ではなく、本当に必要ない。
貧乏のどん底の地獄も多々見てきたが、大金を得た人の地獄も見てきたのだ。


学生の時のバイト先の店にいつも来ていた仲の良い夫婦がいた。
周りから見たらまさしく理想の夫婦像そのまんまといったところ。
それが突然ピタッと来なくなってしまった。

宝くじが当たったそうだ。
金額は2000万円也。

「本当かよ!」「すげーな羨ましい」
他の常連さん達も大騒ぎ。
いや、あんたら大地主に社長に金持ちばっかだろ(笑)
ただまあやっぱり酒の肴にするには丁度いいのだろう。

旅行にでも行ったのかとか、家のリフォームの相談で忙しいんじゃないかとか、初めのうちはそんな勝手な噂話をしては酒を飲んで笑っていた。
しかし日に日にその噂話が悪い方へと転がっていく。

「あの旦那、仕事辞めたらしいぞ」

いやいやそんなバカな。
確かに2000万円は大金だけど、2億じゃないんだぞ?
起業でもするつもりなのか?と思ったけれど、そうではないらしい。
ただただ働くのが馬鹿らしくなって辞めてしまったそうだ。

このあたりから不穏な空気が流れ始めていた。

まあお金使い切ったら元通りになるさ・・・と話は終わり、それから半年経ったある日、旦那さんだけが店にやってきた。

「別れちゃったよ」

寂しそうにひとこと言いながら席に座った。
「ええ?!」
そして事の顛末を語りだした。

まず、ほとんど関係のない親戚から次から次へと電話がかかってきて、ご祝儀という名のせびりが始まった。
それでまず2000万の四分の一から三分の一近くが消えた。

次に子供の教育方針やお金の使い方で奥さんと揉めたとか。
豪勢な夕食が続くも生活は荒れる一方。
夫婦仲も一気に悪化。

そんな中、仕事で何かあって(この辺はうろ覚え)、それを我慢しても稼げるのは宝くじの賞金の数十分の1。
それがバカバカしくなって辞めてしまったそう。

そして奥さんが子供を連れて出ていってしまった。
残ったお金の半分以上を持って。

そうなればもうヤケクソ。
毎日飲み歩いて金をバラ撒いて、ついにお金が底をつく。
その日暮らしのような仕事に就くも、それまでのお金の使い方に慣れてしまったから、もうやる気も出ないということだった(この辺もちょっとうろ覚えだが大体こんな話)

そりゃそうだ。それまで一時間に1万2万と当たり前のように使っていたのだ。
簡単には元の感覚にはならないだろう。

「元気出せよ」
「きちんと仕事してたら奥さんも戻ってくるさ」

話を終えると寂しそうに笑いながら店を出ていった。
それがその旦那さんの最後に見た姿だった。
引っ越ししてやり直したのだと信じたい・・・。


たった2000万でこれなのだ。
お金とはいかに恐ろしいものなのか。
だから以前こう書いたのだ。

「俺はごく一般的な生活をして、ごく平均的な収入を得て、そしてちょっぴりだけ退屈な、いわゆる順風満帆な普通の人生を送るのだ。」と。

残念ながら叶わなかったが。
余分じゃなくていい。
十分じゃなくてもいい。
普通でいいんだ。

幸せの価値はお金じゃない。

お腹が空いてるからご飯が美味しいのと同じように、貧乏だからスーパーの半額シールが人一倍嬉しい。

奮発して3年ぶりに買った中国産の小さなうなぎ(当然半額)を家族5人で分けて食べた。
「この山椒いつのだよ?」なんて言いながら、ほっぺたが落ちそうだった。
幸せだ。

おにぎりを作って子供達とサイクリング。
暑い中、水が飲める公園を必死に探してようやく見つける。
口いっぱいにおにぎりを頬張って、ゴクゴクと水を飲む。
最高だ。


幸せとはきっと昼間の星なのだと思う。
空にアホほど星は浮かんでいるのに普段は見えてはいない。
だから暗くなった時、ようやく分かるのだ。

ああこんなにも身近に幸せはあるんだなと。

怪我をして動けなくなった時、ただ歩けるということが幸せと知った。
地震による停電で暗闇の夜を過ごした時、普通に灯りがある生活が幸せと知った。
貧乏で欲しいものがなかなか手に入らないが、お金を貯めて手に入れた時の嬉しさと言ったら筆舌に尽くし難い。

お金がたくさんある眩いばかりの生活をしていると、これらが見えづらくなってゆく。昼間の星のように。


ある日、子供と一緒にススキノの横断歩道を渡っていた。
そこに何度も踏まれている様子の一円玉が転がってた。
誰も見向きもしない。
いや、見ていても拾わない。恥なのか見栄なのか?
まあ正直気持ちはわかる。流石に貧乏な俺でもこの人混みでは躊躇したくらいだ。
だから俺も黙って通り過ぎた。が、息子が今渡った横断歩道を振り向きながら俺にこう言った。

「ねえ・・あの一円玉泣いてたよ?」

その言葉を聞いた瞬間、点滅する信号の横断歩道を大慌てで戻り、堂々と一円玉を拾って、歩道で待つ子供ら(と沢山の歩行者)に掲げながら戻った。
大喜びする子供達。
危なかった。見逃すところだった。

昼間の星は空だけじゃなく、こんな地面にも輝いていたのだ。

金額じゃない。恥など知らぬ。
俺は今ひとつ幸せを拾い上げた。
きっと余計なお金があったなら見逃していたであろうひとつ分の幸せ。

さあこれでお菓子を買いに行こう。
きっとこの一円玉が役に立ってくれるさ。
一円を笑うものは一円に泣くのだ。

お菓子を持ちレジへ行くと、財布の中の小銭が先ほど拾った一円を足してもきっちり一円だけ足りず、結局お札を出す羽目になって子供達が大笑いした。
この一円玉がもう一つ、子供達の笑顔という幸せを運んでくれた。
多分この一円玉も一緒になって笑っていることだろう。


追記
いくら貧乏でもいいと言ったって、支払いくらいはきっちり出来るくらいのお金は必要だ。
目標を持ってお金を貯めることも間違ってなんかいない。
安易に手に余るほどのお金を得ようとすることに対する俺個人の気持ちの話。

そして元パチプロのギャンブラーがこいつ何言ってんだという話でもある。



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