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人事の持つべき「公平・公正」②(公正)

人事の持つべき「公平・公正」①(公平)はこちら

絶対的な正しさは存在しない

「公正」とは漢字の通り、公に正しいことである。社会に向けて胸を張れる、といったことだ。

これがことのほか難しい。法律を守っていれば胸を張れるのか?そんなものでもないだろう。日本社会の道徳を守っていれば大丈夫か?今の世の中、日本の常識が世界の非常識となることもある。さらに社会の気分は移ろいやすい。昔は許された、もっと言うと他人もやっているのに、いきなりSNSで炎上する、なんていうこともある。

全人類共通の絶対的な善はないのである。そんなものがあれば、宗教も哲学も戦争も存在しないはずだ。

クッションのように受け止めろ

私が社会人になりたてで、「コンプライアンス」という単語が世の中に登場した2000年代後半、「コンプライアンスとはクッションのようなものだと思え」と言われたことがある。つまり、問題が起こった時に、法律などの決められた条件で線引きするのではなく、もう少しほかの考え方や価値観を含めて、余裕をもって柔軟に受け止めろ、ということだ。

「公正」も、絶対に正しい線引きがない、さまざまな考え方や価値観を含めて考えなければならない、という点で似ている。正解がないからこそ、いろいろな価値観に耐えうるように、余裕をもって備えておく。それでも失敗の可能性はあるので、柔軟な思考をもって謙虚でいなさい、という感じだろうか。

人事の仕事は「公正」か?

人事の仕事という観点では、社内では「人事=決まったことをする部門≒間違ったことをしない」というイメージを持たれやすい。いろいろなルールがあり、決められた通りに給与を支払う・評価を付ける・人事異動を管理する、などなど。

たしかに、給与や評価や人事データが間違っていたら、安心して働けないし、実際にそういったことは少ない。その点で、人事は「公正」な部門だ。

しかし、人の採用/不採用を決める・昇進を決める・人事制度を作る・働きがいを向上させる、そういった仕事は最終的には個人の判断・決断で左右される。そこには定量的なデータはほとんど存在せず、「正しいかどうか」の判断は歴史に委ねることになる。

「広い時空間」で胸を張れるということ

誰を採用する・誰を昇進させる・どういった制度を作る。いずれも主観的な判断・決断だ。だからこそ、責任が生じる。責任の重さを感じるからこそ、必死に考えるのである。

当然、そこには法律上・コンプライアンス上問題ないか、という視点はあるが、会社・組織にとって正しい判断か、従業員目線で考えても正しい判断だと理解されるか、将来にわたって最善となるか、など多角的な視点で考える。

「人事の持つべき「公平・公正」①」から再掲

幅広い「いま」の視点だけでなく、過去や未来の視点まで含め、「広い時空間」で正しいと胸を張って言えると思えたときに「公正」が生まれる。

仕事をするときには「公正」であることは、重要なことだ。

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