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小栗 忠順

この記事は「注目の歴史上の人物紹介 Advent Calendar 2020」の企画です。歴史上の人物で自分が注目した人物を勝手にサクッと紹介します。

誰(一般的な解説)?

小栗 忠順は幕末の幕臣。勘定奉行などを務める。幕臣の中では改革を進めた人物で、本格的な製鉄所を創ったり、国産の武器製造強化に踏み切ったり様々な改革を行った。その際も反対派の認識が追い付かないほどスピーディに物事を進めるなど突出した有能ぶりを示した人物です。大政奉還後の戊辰戦争では榎本武明らとともに主戦論を主張したが、実際には勝海舟が主張した恭順論が選択された。その後榎本武明らが転戦してゆく中、主君の徳川慶喜に戦意がない以上戦う理由はないと地元に戻って静かに暮らしたが、その後明治政府側に捕縛され処刑された。

どこが好き?(もしくは注目)

とにかく幕府側としては飛びぬけて優れた人物であったらしく、軍事だけではなく経済面でも活躍した。一般には日本初の株式会社は坂本龍馬の亀山社中と考えられているが、実際には小栗が創設した神戸商社が最初。これは大阪の有力商人から100万両の資金を集め、貿易における日本側の資金力の不利を解消した。そういった有能ぶりは統幕側にも広く認知され、討幕軍の大村益次郎は、もし小栗の主戦論が実施されて小栗が指揮を執ったのであれば、我々の首はなかった・・・と語っているとされている。

有名なエピソード

1860年に渡米した時には正使は新見正興であったのだが、アメリカ側は外交経験があり、落ち着いた雰囲気のある小栗を代表として勘違いして、先々で小栗が取材を受けたというエピソードがある。身分を終始して役割が決まった日本と実力が役割を決めるアメリカの違いが生んだ逸馬で、ちょっとおもしろい。

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