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松井石根

この記事は「注目の歴史上の人物紹介 Advent Calendar 2020」の企画です。歴史上の人物で自分が注目した人物を勝手にサクッと紹介します。

誰(一般的な解説)?

明治時代後期から昭和の初めにかけて中国大陸で活躍した日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍大将。孫文の大アジア主義に共鳴し、孫文や蒋介石に対する支援を行ったが、関係の破綻後は蒋介石軍と戦う事となった。その後引退したが、第二次上海事変により軍に呼び戻され、上海上陸作戦から南京攻略戦で指揮を執ることになった。その結果南京での虐殺を司令官として制止しなかったとして東京裁判で戦犯として死刑となった。

どこが好き?(もしくは注目)

南京事件の中心人物とされ、裁判にかけられることになったが、松井石根自身は南京城攻略要領を発令し略奪や暴行を制止しようとした。しかしながら当時の攻略軍の中心は松井を「おいぼれの石頭」と相手にせず、さらに中国人をの侮蔑する傾向にあった事、指揮系統が複雑で騰勢が取れにくかったことなどから、暴発する日本軍の動きを制止することはできなかった。このことから、判事のキーナンなどから擁護されるが事件の象徴を必要とした連合国側の意図により死刑判決となった。

有名なエピソード

死刑の執行前に教誨師に当時のエピソードを話している。日露戦争のころの日本陸軍は支那人に対してはもちろんだが、ロシア人に対しても、俘虜の取り扱い節度を持って行っていたが、当時の陸軍の劣化はひどく、南京での暴挙に対して笑いながら「あたりまえですよ」と言い放ったと語っている。自らは「当時の軍人たちに一人でも多く、深い反省をあたえるという意味で大変に嬉しい」と語って死刑を受け入れている。




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