推薦入試、そして…

その時が来た。できる事は全てやってきた。

面接では英語での質疑応答もあるので、先生から覚えておきなさいと言われた回答パターンは全て口からスラスラ出るまで暗記した。

これまでに模試を何度か受けたが、最終模試では、英語科合格率は20%未満(所謂再検討圏)…。普通科の高校は70%以上(合格可能圏)のところまで上がっていた。

最終模試の後も追い込んだ。大好きな祖父母の家へもその年の冬は行かなかった。ごめん、ほんまはめっちゃ会いたかった…。

これだけやったんだ。何%かは合格率上がっとるやろ??

そして迎えた推薦入試の日。

試験は予想以上に難しかった。

課題作文、とにかく書いた。埋めた。

面接では誠実さを醸し出し、アピール。それなり。

英語面接では想定していた質問が出て、しっかり答えられた。

肝心の英語の筆記試験、リスニングはかなり難しく感じた。さすがは英語科、正直いつもテスト後に感じる手応えが今日はなかった…。でも最後まで諦めなかった。時間一杯考えた。

数週間後、学校に合否結果が来たという事で呼び出された。(推薦入試組が1つの教室へ集められ、1人ずつ別室へ呼ばれ、結果が告げられる。)

"残念だが、不合格だった。一般入試で頑張ろう。"

おそらくこんな感じの事を言われたんだと思う。あんまり覚えていない。何となく予想はしてたけど、目の前が真っ暗になった。

その後、家で父に相談した。

その結果、すべりどめの私立高校の受験と、"普通科"の公立高校受験を決めた。高校では英語だけに偏らず、幅広い知識を身につけ、その後大学で専門的に学んだ方が良いとのアドバイスだった。

悔しさは残ったが、一理あると理解し、進路を若干変更した。

その後も部活で養った集中力と根性で追い込み、見事に志望校の"普通科"に逆転合格。地元の進学校だった。

後に聞いた話だが、風の噂でそれを聞いた小学校の同級生は驚いたという。それくらいの逆転劇だった。

その後、高校でも素晴らしい先生方に恵まれる事になる。

1年時は1類と呼ばれるコースに在籍し、2年時からは1.5類という文系進学コースに"転類"し、3年時からは英語だけ塾に通い、部活引退後に猛スパートをかけた。

結果として、国立大へは行けなかったが、志望校の関西外国語大学への進学が決まった。留学+教員免許取得をしても4年で卒業できるという点が魅力的で、この大学を選んだ。

ちなみに、この時も現役での逆転合格だった。(高校でも英文法の難しさには何度も泣かされた。一時期は英語が嫌いになりかけた。)

大学在籍時から、英語を話せる様になる為の試行錯誤の日々が始まる事になる。この時に色々な方達から見聞きし、それを自分なりにアレンジした勉強方法を実践する事で英語を話せるようになった。

次回投稿からは、外大時代のエピソードも交えながら、その具体的な勉強方法についても少し触れていけたらと思います。

(長文にお付き合い頂き、ありがとうございました。書くにつれ、気持ちが熱くなるあまり、気持ち良く書いてしまいました…。)

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