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16.初ライブ



いよいよ動き出したlazy clear whisper。

そんなバンド活動であるが、
初めにやることはホームページを作ることである。
やはりホームページがないとね。

そして当時の時流に乗り前略プロフィールみたいな感じでホームページを作ったのであった。

ここでみんなに朗報。

奇跡的に当時のホームページが未だに残っていた。
出すかどうか迷ったがいっそのこと出すことにした。
ぜひご覧ください。
(当時のメンバーごめん。)


http://x118.peps.jp/lazyclearwhisper/?guid=on&cn=4&tnum=3
※これがデジタルタトゥー



スタジオ、ホームページ、そして次にやることはライブに出ることである。(スタジオというか公民館であるが)


学校の校内ライブに出るのはもちろんなのだが目指すところは武道館。
やはりライブハウスでやらなくては。


ライブハウスに出るにはどうしたらいいか思案してると僕は思い出した。
そういえば吉祥寺のロックイン(楽器屋さんの名前)で、階段にメンバー募集の張り紙と一緒にライブ募集の張り紙が貼ってあったような…。
メンバーにその話をしたか定かではないが、即行動。
学校帰りに楽器屋さん(の階段)に向かい張り紙をチェックをしに行った。

やはり、あった。


吉祥寺高校生バンドフェスティバル。

あちぃじゃねえか。


やったろうぜ。




そう思いすぐにバンドメンバーに写メール。

いいんじゃん?
そんな感じで張り合いがないが、みんなから返事が来て晴れて参加決定。
初ライブが決まったのである。

会場は吉祥寺クレッシェンド。

どうやら小さめであるが今も続いている老舗のライブハウスであるようだ。



だが、出演するには参加条件というものがある。

まず参加費。
これは1人¥7000くらいだったと思う。
頑張ってお年玉集めるなりお母さんにお願いするなり、アルバイトするなりなんとかしよう。


そして次の条件は、
何かしらの方法で演奏を録音して音源を提出すること。

CDもなければオリジナル曲もない。
そんな状況ではあるが、コピーオリジナルなんでも可と応募要項に書いてあった為、なんとかして音を録りに行くことにした。


そうして行ったのは中野のサンプラザ地下にあったスタジオVOXであった。
(現在はベースオントップと名前を変えています。)

機材が充実しており、なんならスタジオ内には備え付けのマイクがあって、そのマイクで演奏した音を"無料"で録れるというのが理由である。

そうして中野のVOXにて何度も同じ曲を演奏し、それをCDに焼いてライブハウスに提出したのであった。

そうして録音した音源を聴きたい方は下の方に投稿してます。
(※これはデジタルタトゥーではなく自傷行為)



僕が演奏をデータとして残した中で1番古いものかもしれない。
何度も演奏した中でこのテイクが1番良かった。自信作だ。




バンド名OK、
エフェクターOK、
演奏OK、
音源OK。

このように出演の準備は整った。
初ライブは2009年8月3日@吉祥寺クレッシェンド。

いよいよ出陣。



その日は暑い日だったような気がする。
吉祥寺の北口を降りてバスがよく通る吉祥寺大通りをひたすら北に。
突き当たりにフレッシュネスバーガーがあり、それを右に曲がる。
汗が垂れる中ライブハウス前にてメンバーと落ち合う。
ライブハウスにどうやって入ればいいか分からない中、他の出演者と思しき人が横を通りライブハウスに入っていく。
機を逃すまいとみんなが続く。



入ったその場所は事務所のようなところで
さっきの方が
「おはようございまーす。」と言う。

間髪おかずに阿吽の呼吸で、
「おはようあざいます」とか、
「あざざます」とか、
「こんにちは」と
空気を読んだり読まなかったりで続くメンバー。


それに対して
「うーいす」と聞いてるか聞いてないか分からないテンションで返すライブハウスの誰か。

これでいいの?

剣道部とは違うと言うか暖簾に腕押し感があるがこれでいいのだろう。

とりあえず最初の挨拶は済んでほっと胸を撫でおろす。


そのまま出演者の方に続き事務所を一旦退出、そして外に出て、地下のライブフロアへと繋がる階段を降りていった。
その地下へと繋がる階段は少し異様な雰囲気が漂っており、壁には白塗りで中指を突き立てた人がベロを出して写っているポスターや、目を凝らしても読めないフォントの英語のメタルバンド風のバンドのポスターが隙間なく貼られていた。
それらはこれまでの人生で立ち入ったことのない場所でこれから新たな一歩を踏み出していくことを知らせるには十分な仕掛けであった。

まるでホーンテッドマンションを進むかの如く階段を慎重に降りる中、
下のフロアではバンドの音が鳴っていてそれが一段降りるごとに大きくなっていくことに気づく。


うわー。なんかもう誰か演奏してるー。音でかいー。すげえー。

今でも思うが、ライブフロアの外から漏れる音は1.7倍くらいそれっぽく聞こえる。(と思う)
楽屋でリハーサルの音を聞いてると焦ってライブフロアに音を聞きに行くことがよくあるのだ。

そうして音が大きくなった階段を降り切ったその突き当たりには重い扉があった。
この先にライブハウスが。

だがここは通過点。
先頭にいる僕は、ライブハウスくらいなんとも思ってないよみたいな感じを出さないといけないと思い
スタジオにあるようなガシャンという重い取手の扉を開けて中にはいる。


ほえーーーー。





わからん。


暗い。


なにがなに?


これが最初の感情。

とりあえず今リハーサルため演奏している人がいる場所がステージ。それはわかる。



とりあえず入った瞬間いまこの場所はホール?


でも、それ以外がわからん。

楽屋とか、トイレとか、
どこにいたらいいのかとか、
なんというか居場所がわからん。


どのタイミングで挨拶?


なんか、空間全体も黒塗りでよくかわらん!
(これは今でもよくある)



手も足も出ないとはこのことであろう。


少しだけ偏差値高い学校に通っていたメンバーである、みんなが変な気の遣い方をしてしまい
、入り口の付近で固まってしまった。


そうしていると演奏が止まったタイミングでスタッフの方が声をかけてくださり、なんとか空間把握と状況把握に成功。

そのあとはリハーサルをして開演、晴れて自分の出番が来て初ライブとなるのだが演奏に関しては正直あまり覚えていない。


覚えていないというのは嘘かもしれないが、
きっと今ほど余裕をもって気をまわせていなかったのであろう。

唇をマイクにつけるたびにマイクからビリビリと電気のようなものが走って痛かったが、それを跳ね除けるくらいのアドレナリンが出ていて気づかず、
お客さんの顔を見ようと思っても照明が眩しくてお客さんの顔など見えやしなかった記憶を鮮明に覚えている。

そして9mm parabellum bulletの曲をコピーしたのもあって、演奏よりもいかにライブ中に"動きまわるか"ということに意識を割いていたのであった。
(このバンドはライブ中に非常に動き回るのが特徴のバンドです。)


持ち時間は何分だっただろう、20分くらいだった気がする。
あっという間にライブが終わった。
やり切った感とか、不完全燃焼感とか正直全く分からなかった。
とにかく一生懸命その瞬間バンドをした。
外に向けた感情は1ミリもなく、全てが自分たちの中に留まっていた。
楽しいとかもない。
一生懸命。
ひたすらに4曲、20分をやり切ったのであった。

















全てのバンドの演奏が終わり、優勝バンド的な発表があったと思う。もちろんそれにはかすりもしないのだが。

なんならゲストバンド的なのもいて、複数日開催されていた別日にCHERRY NADE169がいたのを今でも覚えている。
まだ対バンしたことはないが、もし今後対バンすることがあればその時の話をしたいなと思っている。




こうしてあっという間に終わった初ライブであったが、残ったのは手応えと充足感であったと思う。
人前に立って演奏が出来た、
やっとバンドのレールに乗れた。

そしてかつて憧れていたバンドマンになれた。

あっという間の20分であるが、私にとっては大きな一歩である。

少しの後悔もないまま、無敵感を肩にかけ町を歩いた。
俺はバンドマンだ。武道館に立つんだ。


この一歩が本当の意味でただの一歩でしかないことをこの時の俺は知らない。
これは、この先の長い長い、15年近く続くバンド生活のただの入口でしかなかったのだ。

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