神マクロと呼ばれたレンズ
そのむかし神マクロと呼ばれるレンズがあった。そんなレンズを使った記憶を振り返ります。
*マクロレンズのトラウマ
マクロレンズというものを初めて知ったのは写真専門学校に入ったときだった。それまで写真とは無縁の生活を送っていたこともあり、この頃は写真に対してかなり素直だったと思う。
そんな素直さもあって、入学してまもなくの授業で先生が「マクロレンズというのは絶対に必要だし、授業でも使うので早めに準備しておくように」という言葉を信じてカメラ屋さんを探しまくった記憶がある。この時期は同じような指令を受けてマクロレンズを購入する新入生が多くどこのお店もマクロレンズは品薄状態だった。
やっとの思いで手に入れた100mmのマイクロレンズだったが、結局ほとんど使わずに終わった。授業でも使うとおっしゃられた先生は結局1年間マクロレンズのことには触れずに終わられた。ちょっと……ですよね〜(笑) ちなみに、ニコンさんはマクロレンズではなくマイクロレンズといいます。最初はニコンユーザーだったんです(以後、マクロレンズに統一)。
*マクロ撮影の大変さ
ちなみに個人的にはマクロレンズを使うことはほとんどない。なぜかといえば、とても大変だから。
マクロ域の撮影はかなり根気が必要になる。マクロ撮影は小さな物を大きく撮るので、いろいろ拡大されて、全てにおいてシビアさが数段上る。そんな感じで、ワンカット撮影するのに時間がかかる。
例えば、野外で花などを撮ろうものならすぐに被写体が揺れる。それを待っているうちに今度は自分が揺れる。という恐怖のスパイラルに陥ることがある。マクロ撮影で花や葉っぱに近づくと被写体が必ず揺れるのはアルアルで、ピント合わせはマニュアルフォーカスが最もあっていると未だに考えている。
ある花の巨匠には「揺れるのは風のせいで、風は呼吸しているようなものだからいつからは止まるから待っていればいい」と教えていただいたが、それが待てないんです(笑)。
*なぜか使うことになった神マクロ
そんな感じだったので、最初のマイクロレンズ以降、積極的にマクロレンズを購入することはなかったが、ある仕事で必要に迫られた。このときは仕事がらみだったのでレンズを借りた。そんな写真をここに出して良いか?ちょっと微妙ですが、かなり昔の話なので良い気がします。
このときにお借りしたのが、ZUIKO DIGITAL ED 50mm F2.0 Macro というレンズで巷では神マクロと呼ばれていた。カメラは OLYMPUS OM-D E-M1(マウントアダプター MMF-2 使用)
*ケイタの花
前置きがかなり長かったですが、マクロといえば植物でしょ。と、思い切り花の写真を紹介します。
*まとめ
使ってみると確かに凄かった。
凄いのは、ボケの美しさ。ピント面の繊細さはもちろん素晴らしく、色の滲みもほとんど感じない。それらを高い次元で併せ持っているのが神マクロと呼ばれた最大の理由だった。
今ではそんなことが当たり前のデジタルレンズも多いが、フィルム時代のマクロレンズはボケがちょっと汚い。そんな印象が強く、当時はまだマクロレンズといえば、その印象があって、デジタル世代のマクロレンズの素晴らしさをわかっていなかったのだと思う。そもそもマクロレンズを遠ざけていた。
参考までに、フィルム時代のマクロレンズのボケはボケの中に形が残った感じになることが多い。このレンズの後ボケはまさにとろけるような感じで背景に馴染んで行き、前ボケも溶け込むような優しさを持っている。
これも今では当たり前のように感じるかもしれないが、後ボケと前ボケを共に美しくするのはかなり大変なことなんです。なぜそんなことができるようになったかといえば、天才が作ったからといいたいところだが、コンピューターシミュレーションの恩恵が大きく、膨大な量の計算ができるのでより最適なレンズ設計ができるようになったから。
ちなみに最後のバラはエルンスト・ハースに捧げるバラです。
気になる方は エルンスト・ハース ザ・クリエイション バラ で検索すると私が氏の本で何度も見たバラの写真が出てくるはずです。この本でこの氏のバラを見て以来、バラといえば真俯瞰気味のこんな感じで撮るようになった。
これはアナログ的な刷り込み(笑)。
また、次回
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