# 160_OTON GLASS/FabBiotope ver2+i
オルタナティブなプロトタイピング
ここでは文字を読み上げるメガネOTON GLASSや、そこから発展して生まれた当事者兼つくり手による小さな生態系FabBiotopeについて紹介していこうと思います。
まず、最初にOTON GLASSの変遷をたどっていきながら、本プロジェクトにおいて重要な概念である「プロトタイピング」について考えていきたいと思います。まぎれもなくOTON GLASSはプロトタイピングの手法によって生まれたものです。そして、その当時、主に開発をしていた仲間や、当時の技術環境など、その時の状況を反映して生まれ直し、バージョンアップを重ねてきたものになります。
大きくバージョン5まであり、その中でも重要な役割を果たしたバージョン1、3、5の奇数番号のOTON GLASSについて紹介していこうと思います。それぞれのOTON GLASSはいずれも同じくプロトタイピングの手法でつくられながらも、異なる役割を果たしてきました。
一般にいわれるプロトタイピングが、身近な素材を組み合わせ、それによって体験できる試作品をつくり開発効率を上げることを目的とした行為だとしたときに、OTON GLASSにおけるプロトタイピングはそれとは異なる目的のプロトタイピングを行なってきたとふりかえることができそうです。オルタナティブなプロトタイピングの事例として、奇数番号のOTON GLASSをふりかえっていこうと思います。それによって当事者であることとつくり手であることが一致する等身大の制作というからだのふるまいについて考えていきたい。また今までの大きなロジックでは取り組むことのできなかったマイナーな課題を対象にし、その課題に寄り沿うことが可能な新たなロジックを手に入れることができるのではないかということについて考えていきたいと思います。それによって新たなつくるという行為やそのつくり手像を描くことができるのではないかと考えています。
当事者でありつくり手であること
まずバージョン1のOTON GLASSは私の父の失読症をきっかけに発明されます。
私が大学生の時、父親が脳梗塞で倒れ、その後、後遺症で文字を読むことができない失読症が残りました。
当時、デザインを学んでいた私は、「いま、自分が本当につくる必要があるのは、父の課題を対象にしたものなのではないか」と考え、同世代の仲間とともに、OTON GLASSのバージョン1の開発を始めます。ここでは2013年当時日本でも手に入るようになっていた名刺サイズの教育用マイクロコンピュータであるラズベリーパイを使っていました。また文字認識技術や音声合成技術に関しては、そのウェブAPIを扱い、文字を撮影し、クラウド上で処理を行ない、デバイス側のスピーカーやイヤホンでその文字を読み上げるという仕組みを採用していました。
以降のバージョンのOTON GLASSも扱う要素技術は変わりながらも同様の仕組みのものとなっており、まさにこのバージョン1はOTON GLASSの原型といえるものになりました。他方で当時、身近な機械学習技術においては、まだ十分な精度や処理速度に至っておらず、特定の短い単語を撮影して一定時間待って音声が返ってくる程度のもので、体験として心が動くまで至っていませんでした。そういう観点から従来のプロトタイプの評価軸で見ると、それは質の低いものだったかもしれません。
しかし、この後、バージョンが上がって、いわゆるインターフェースの質が向上していく程に、逆にバージョン1のOTON GLASSに違う価値が見えてくるのです。それは誰にとっても「当事者でありつくり手」として複雑な問題に寄り添っていくというふるまいがありえるという問いです。当時の私にとって、OTON GLASSのバージョン1は、自らの父が失読症になるというどうしようもできない問題に対して、自らのつくり手としての専門性を使うという、まさに当事者である自分とつくり手の自分がぴったりと重なるクリエイションの結果だったのです。
と同時にそれは私自身の「少数派性の発露」としても見ることができそうです。どういうことか。当時、デザインを学んでいた私は自らの当事者性から離れた課題に自らの専門性を使うことに違和感を覚えていました。また消費を加速させる役割に多くのデザインが失落していることにも違和感がありました。そういった中で、1960年代に始まったラディカルデザインの歴史や、その精神性を受け継ぎ、現代においてそれを実践する広義のデザイナーに対して、希望の光を見ていました。そういったタイミングに父が失読症となり、私にとっての切実な創造力が引き出された結果としてOTON GLASSのバージョン1が生まれたと見ることができそうです。
つまり、私自身が、自らが当事者であり、つくり手であるその領域でしか、当人にとっての真のクリエイションが発揮されない、そういう自らの少数派性というのが、このバージョン1のプロトタイプで社会に表現されたと見れるかもしれない。そういう意味でも、バージョン1のOTON GLASSというのは、自らがどうしようもできない状況に置かれたときに、自らに高度な技術や大きな資本がなくても、なんとか身の周りにある様々なものを組み合わせてプロトタイピングをし、その複雑な課題に寄り添い続ける、そういうふるまいがありえるということ。そしてそれはもしかしたら誰にでもひらかれているものなのかもしれないという、あなたにとっての切実な創造力はなにかを問う、そういった表現としてのプロトタイプとしてバージョン1を見ることができるかもしれないと、ここでは言ってみたいと思います。
小さな社会の造形
次にOTON GLASSのバージョン3についてふりかえっていきたいと思います。
バージョン3においてもっとも大きな変化は、機械学習技術の爆発的な精度向上や処理速度の向上が反映された点でしょう。
2016年当時、機械学習技術の向上に伴って、誰にでもアクセスできるウェブAPIの形を取った機械学習技術にもその精度向上の波が訪れます。それによって、OTON GLASSにおいて重要な要素技術である文字認識や音声合成部分がアップデートされ、それ以前のモデルではコンセプトを伝える程度の体験に限定されていたものが、体験によって心を動かすものになったのでした。
バージョン3では東京を皮切りに多くの展覧会に参加させてもらい、そこから金沢の美術館で展覧会を開催させてもらうことになりました。そこでOTON GLASSを使って体験するということを通じて、多くの人にOTON GLASSと出会ってもらう機会をつくることができました。その中で目が見えづらいことで文字が読みづらい視覚障害者の人たちとの出会いがあり、ここから視覚障害者との協働が始まっていきます。
ここで重要だったのは、機会学習技術の向上によって、観賞者がOTON GLASSを体験することで心が動く、その段階まで体験の質を、上げることができた点でしょう。言語や記号的なものではなく、より感覚的な身体的な体験によって不特定多数の多様な人々にOTON GLASSと出会ってもらうことができました。
そういう意味で、少し飛躍がありますが、機械学習技術の向上によって、体験を通じて多様な人がOTON GLASSと出会い、その結果として私自身も多くの人と出会っていったことになります。
そういう観点から、OTON GLASSのバージョン3は、体験できるそれを中心に展覧会を構成することで、それを媒体として、小さな社会を造形していく役割を果たしたものとして見ることができそうです。そして、これ以降も展覧会を小さな社会を造形する手段として、運動としての展覧会を実践していくことになります。
触媒としてのプロトタイプ
次にOTON GLASSのバージョン5についてふりかえっていきます。
バージョン5の発表と同時に、私はFabBiotope*1という当時兼つくり手による小さな生態系の構想を発表します。FabBiotope自体の解説は後述するとして、具体的にこのOTON GLASSのバージョン5は、視覚障害者とエンジニアが協働して発明する際に彼らの触媒となるツールキットとしての役割を果たしたモデルとなりました。
具体的には全盲のプログラマーや弱視の建築家と、プロトタイピングを得意とするエンジニアが協働し、その人のためだけのOTON GLASSを再発明するという実験的な取り組みを行いました。
たとえばここでは弱視の建築家と3Dモデリングや3Dプリンティング、フィジカルコンピューティングを得意とするエンジニアが協働し、ペン型のインターフェースのOTON GLASSを開発しました。
造形の決め手となったのは、その弱視の建築家の方が普段からペンを持ち歩いていて、それでドローイングを描いて自身の建築のプロジェクトを動かしており、その方にとってペンというものが親しみがある生活の中の必需品であるということからでした。カメラ部分がペン先についていて対象の文字にペン先を近付けることでそれを読み上げるプロトタイプをつくり、それを持って町に出て、使い、対話するということを行ないました。
ここで重要なのは、もちろんインターフェース上の課題は多々あるものの、N=1という設計の前提によって、一般的なユーザーインターフェースの設計において変数として入らない「個人の生活史」という非常に個別具体な小さな文脈における所作やそれによって獲得される安心感や親しみ、そこから拡張される新たな身体性というのが発見されたことです。一度、近代化や大量生産の前提から抜けて、一対一の関係の中から、ありうる道具の姿を考えてみる。デザインされた「もの」によって人間像自体もデザインされるという原理に立ち戻ると、その道具の姿をつくりながら考えていく過程で望ましい現実への想像力が取り戻されるかもしれない。
少し大きく言ってしまいましたが、これらの視覚障害者とエンジニアの協働事例、その過程で発生した対話から、私自身そういった可能性を感じていたのでした。ペン型の事例の他には、全盲のプログラマー自身が自らが欲しい機能を簡単にプログラムできる、OTON GLASS自体をメタメディアとして促えたものや、OTON GLASSの一人称視点を遠くにいるヘルパーに共有し、ビデオ通話のようにすることで、遠隔でも同行援護ができるようなプロトタイプを開発しました。
OTON GLASSがこのような形でツールキットとして機能したのは言うまでもなく、OTON GLASSが完全にDIYでできたものだったからです。またOTON GLASSのバージョン5を開発したエンジニアとプロダクトデザイナーが、そのソースの共有や、再発明に併走してコミュニケーションすることで、彼ら自身が開発環境の一部になっていたことも大きいでしょう*2。
道具自体が半完成品であることで、それを触媒としたコミュニケーションが可能に、またそこに関わる人々の社会の中の役割や人間像自体も流動的なものになる。バージョン5のツールキット性から、それが機能する社会像自体を想像し直す。それがFabBiotopeという構想につながっていきます。
当事者兼つくり手によって構成される小さな生態系
FabBiotopeは私の造語ですが、「Fab」というのを当事者でありながらつくり手であることが一致する「つくる行為」と定義しています。「Biotope」というのが小さな生態系という意味で、FabBiotopeというのは当事者兼つくり手によって構成される小さな生態系です。また彼らのつくる行為によって生成されたものの流通系や経済という、循環系をどのように設計しうるかという社会システムを描いているものになっています。
従来のロジックではこぼれ落ちてしまう「つくる行為」に光を当てる。また同様に現在の社会の中には、そのつくる行為によって生成されたものを流通させたりまたそれによって経済をつくったりする系がないので、それ自体も自分たちで自作してしまおうと、そういう試みになっています。
ここでは、その現在進行形の試みについて紹介していこうと思います。まず、OTON GLASSSからFabBiotopeへ展開していった理由から入っていきましょう。端的にはそこに横たわる問題があまりも複雑すぎたからです。そしてそれは簡単には解けなくて、むしろその複雑すぎる問題にいかに個々人が寄りそっていくか、そこで発生する創造性にこそ可能性があると思ったからです。
私自身が活動の中で様々な視覚障害者の人々と出会ってきて、彼らが置かれたままならない状況に対して、より本質的なアプローチがないか、その模索の中で生まれたのがFabBiotopeというアプローチなのです。現在、私がFabBiotopeというプロジェクトの中で、協働しているのは、主にOTON GLASSの活動の中で出会ってきた視覚障害者の方々やエンジニアの方々です。
また昨今は「“現実”の自給自足展」という展覧会を企画運営し、そこでは視覚障害者やエンジニアも出演者として参加してもらいながらも、それ以外の当事者兼つくり手の側面を持つと私が感じる多様な人々にお声がけし、彼らの身体的な知や方法論を展覧会を通じて社会にひらくという試みを行ないました。
個別の現実をデザインする
ここでは主に視覚障害者とエンジニアとの協働事例に焦点を当てて紹介したいと思います。まず視覚障害者の方と取り組んでいるプロジェクトについて紹介しようと思います。その方は中途の視覚障害者で、中心暗点という真ん中の視野が欠けて周辺の視野が残っているような見え方をされています。その方は、社会人になってから目の障害を持つようになるのですが、目が見えづらくなったあとも、様々な支援技術を組み合わせ、自分一人でできることを増やしたり、会社の人に自分自身の状態を伝え、会社の中での居場所をつくったりすることで、今も同じ職場で同じ仕事を続けられています。
私はOTON GLASSの活動の中でその方と出会い、その方自身の生活や仕事を構築する独自の工夫を聞くなかで、その工夫自体がクリエイションであると感じ、それを起点にプロジェクトをご一緒できないかと声をかけさせてもらったのでした。
その方と今、取り組んでいるのは、その方のその独自の工夫を、似た身体像の人に伝えることを目的としたプロジェクトです。具体的には、まずその方はご結婚されていてパートナーがいらっしゃるのですが、パートナーの方にご自身のスマートフォンで、その方の日常の中の工夫を撮影をしてもらいました。
次にその映像を元に、ロングインタビューをさせていただくというのを、先の紹介した“現実”の自給自足展にて行いました。ここでは、私に加えて、哲学対話などインクルージョンのための哲学実践を行なっている哲学者の方に聞き手になっていただきました。このロングインタビューは展覧会会期中に、その会場で行なわれ、公開収録のような形をとりました。こちらは現在、ウェブ上でポッドキャストや定点映像のかたちで視聴が可能になっていますので*3、ぜひご興味がある方は、お聴きください。
本インタビューでは主にその方のパートナーの方が撮影くださった映像群や、普段その方が使っている支援技術としての道具群を紹介いただき、そこから目が見えにくくなる前、なった後、そこから様々な工夫を試していって現在の新たな自立を獲得した現在に至るまでを時系列でうかがっていきました。そのインタビューの内容は、その方自身に起きている目の見え方や、それによって発生する生活や仕事への影響、そしてその方自身の独自の工夫によるその問題への寄り添い方によるもので、あくまで非常に個別具体的な事例でしかありません。
しかし、その個別の現実というのが、今現在立ち上がっているのだと、それ自体を当人の肉声を通して、似た境遇、似た身体像の人に伝わることは、非常にインパクトがあるものになるのではないかと考えています。それを私は、まぎれもなく知であると、「生」の宿った知であり、特定の人の心を動かす表現としての知であると考えています。
また、その方は、いまも目の見えづらさを持っていて、一定の自立や共生を新たに実現しながらも、問題に寄り添い続けている過程です。その方が自らの生を語ること、そして私をはじめとした編集的制作を行なうつくり手との協働で、その語りを拡声すること、そういったことに共に取り組んでくれている彼の身体というのはまぎれもなく表現者なのです。
そして、その方や哲学者の方、そして私という複数人での対話によって、徹底して個別の生について考えていくことの先に、普遍的なものが立ち上がってくる。それは目の見えづらさなど直接的な身体の類似に限定されず、いまを生きる人たちに多くの問いを渡すものになるのではないかと考えています。インタビューの中で発生した対話の中にも普遍的な問いが現れてきます。ぜひ聴いてみていただけると幸いです。
等身大のエンジニアリング
次にエンジニアとの協働事例について紹介していきます。現在、主に大学や専門学校などでインタラクションデザインを教えている教育者と私が協働してOTON GLASSを題材にプロトタイピングの型を使える教材やワークショップの制作を行なっています。
具体的には『Prototyping with OTON GLASS』という題で、OTON GLASSと島影の物語と、そこで登場する情報技術に実際に触れてみる演習がセットになった内容になっています。
こちらは現在、そのワークショップの戯曲という形で自作書籍の初版ができており、そのデジタル版をウェブ上で講読することができるようになっています*4。演習部分は現在更新中ですが、物語部分は現状のバージョンのものをお読みいただける状態になっています。
ここでの挑戦は、より小さな文脈でのエンジニアリングの実践におけるロジックの獲得と、そのロジックによって可能な知の形式や流通方法の模索です。その小さな文脈でのエンジニアリングの実践を捉えるために、本章事例の前半で触れたような独自のプロトタイピングの解釈というのを、同じくOTON GLASSのバージョン1、3、5を具体事例に試みました。
またここでは知の記述の仕方として、一人称の物語というより文学に近い方法を採用しました。それによって小さな文脈でのエンジニアリングを実践するためのロジックが、またその知を流通させる型を手に入れてもらえると考えました。あくまで、『Prototyping with OTON GLASS』に関しては物語を読むことと実装を通じて、OTON GLASSと島影の生を追体験してもらい、プロトタイピングの特定の型を身体的に理解してもらう内容になっています。ですがいつか自分に切実な創造力を引き出さざるをえない時が来たときに、自分なりの方法でプロトタイピングによって、それに向き合い、その向き合った自らの生を他者に共有するフォーマットとして、民話と実装というこのフォーマットを使ってほしいという狙いがありました。
それによって、たとえば従来の論文という知の形式や、技術の新規性や革新性を追い求める開発ではこぼれ落ちてしまう、私的で詩的なエンジニアリングの実践をすくい上げ、それを護ることができる選択肢として提示できないだろうかと考えました。
一応、あえてここで誤解が発生しないように、言葉をつけ加えると、従来の論文や革新性を追求する開発を暗に批判しているわけではありません。むしろそれ以外のロジックで、イデオロギーで記述できる知の形式が少なすぎる、その選択肢を増やす必要があると考えているのです。それによって、もっと身近な、自分だけに起きている状況、そういった自らの当時者性のあるものに対して、エンジニアリングを実践してみることができる、その敷居を下げ、その実践の時空間を護ることができるのではないかと考えているのです。
そして、ひるがえってですが、ある種、そういった地道な実践を増やすこと、その生が伴った知が流通すること、またそれによって実践者同士が小さな文脈の重なり合いの中で出会うこと、また場合によっては協働すること、その小さな生態系が、小さなままに、そのまま存在できるようにすることが、結果的に情報技術による格差の問題、人間の存在の偏りによって発生する生きづらさ、これは大きく福祉の問題といっていいかもしれませんが、その問題への地道でしかし確実なアプローチになるのではないかと考えています。
今後は、前述したような視覚障害者やエンジニアと協働して、彼らの生の技法を似た身体像の人々に伝えていく活動を通じて、本プロジェクトに共感する視覚障害者やエンジニアの友だちを増やしていく。そして、その共同体の中の視覚障害者とエンジニアで協働して発明を実践し、またそこで生まれた知を流通させていく。知の流通系や経済などの循環系を設計し、それを回していくことで当事者兼つくり手による小さな生態系を社会彫刻していきたいと考えています。
島影圭佑. FabBiotope1.0→2.0. 株式会社オトングラス. 2021年
Jun Kato, Keisuke Shimakage. Rethinking programming “environment”: technical and social environment design toward convivial computing. In: Conference Companion Proceedings of the 4th International Conference on the Art, Science, and Engineering of Programming. 2020. pp.95-103
beta post, 楠見清, 荻原林太郎, 上平崇仁, 林園子, 濱中直樹, 津田和俊, ドミニク・チェン, 和田夏実, 清水淳子, 加藤淳, 菅野裕介, タカハシ ‘タカカーン’ セイジ, 山本千愛, 平尾修悟, 青山新, 東谷俊哉, 吉村佳純, Aokid, 田中堅大, 角田陽太, 金森香, 福田敏也, 秋山孝幸, 梶谷真司, 落合陽一, 南條史生, 水野大二郎, 大橋香奈, 内田聖良, 大野睦昌. "現実"の自給自足展. N&A Art SITE. 島影圭佑, 小林空, 村山雄太, 岩永賢治, 加藤泰生, 堀川祥子, 森屋充正, 京都工芸繊維大学 KYOTO Design Lab, エヌ・アンド・エー株式会社, エイベックス・ビジネス・ディベロップメント株式会社, D/C/F/A. 2022年2月14日-2022年2月24日
島影圭佑. Prototyping with OTON GLASS. noteマガジン. 株式会社オトングラス. 2021年
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