個人の記録が、誰かにつながる
2023年9月22日(金)曇りのち雨
今日はじじばばの家で起きた。明日からのヨーロッパに向けて、パッキングをしたり、保険や外貨など事務的な手続きをしたり。床に広がる私のスーツケースを見てばばが、「もうそれを引いて歩くのはとても無理だなあ」と。このスーツケースは特別大きいわけではないけれど、たしかにばばにとっては骨の折れる作業だと想像する。ばばは若い頃かなり旅をしていたらしく、ヨーロッパも私より色々な国に行ったことがあるみたい。私も高校生から大学生にかけて、3回ばばと一緒に旅行に行った。それはそれは良い思い出で、未だに話題に上がることがある。そんな旅慣れたばばも83歳。病気をしたりコロナ禍になったりで最近は旅行ができていないので、旅ができる身体感覚もばばのなかで遠のいているのだと思うと切ない。そんなばばを旅行に連れて行きたいと思いつつ、友達と最後にハワイに行きたいと話しているらしく、それならそれを楽しんでもらったほうが良いと思っている。どうか先延ばしにせず、今すぐにでも行って来てほしい。
昼前に家を出て、静岡のアーツカウンシル宛に書類を送るついでに、外貨を両替しようと思った。しかし取扱店に行ってみると、ちょうど私が手に入れたかったユーロの在庫を切らしているとのこと。やり切れないので駅前のいくつかの銀行にも行き聞いているも、やはりどこも外貨交換をやっていない。暑くて疲れたし時間ないのになあと思いつつ、まあきっと夏を感じるのもこれが今年最後だから良いかと自分を納得させた。
午後は『アンネの日記』をついに読了。ある人物の数年間の暮らしを、これほど綿密に見させてもらった感覚は初めてだった。今まで読んだ日記本の中で最もボリュームがあったことも理由としてあるけれど、その膨大な時間の連なりによってアンネ自身の内面世界の変化がありありと感じられたことが大きいと思う。日記が書かれてからこれほど時が経っても、私は彼女の残した記録を読み、その存在をほんの少しでも感じている。アンネが約2年間書き続けた日記帳は奇跡的に消失を免れ、父親のオットー氏を中心に様々な人たちの尽力で現在まで受け継がれてきた。精一杯書き残した日記によって、アンネの世界は今もたしかに生きている。
雨がだんだん強くなってくるなか、夕方ごろに家を出てさくらの家に向かう。土砂降りの下北沢でお土産など最後の買い物を済ませ、明日5時起きのため早めに就寝。旅が始まる。
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