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友人のラジオを聴き、本人と電話で話した日

2023年8月23日(水)晴れ時々曇り

今日は久しぶりに家から出なかった。
午前中は溜まっていた泉のラジオを8月頭分くらいからまとめて聴いた。7月から毎日泉とボイスメモによる日記を送り合っているのだが、岡山の撮影期間は自分のを録ることも、彼のを聴くこともできていなかった。過去に遡って録音を聴いていると、直近起こったことが知りたいという気持ちが出てきて、一旦昨日の分を聴いたりした。録音されている声色や言葉の詰まり、環境音は、音声の記録ならではのことだと思う。泉がラジオの終わりに言う「まあ、今日はこのへんにしとこうかな」の「まあ」の後のに、その日記録として掬われることのなかったいくつもの景色や出来事、思考や感情の動きがあったのだろうと想像する。

その後私自身の昨日の日記を書き、少し仕事をした。久しぶりの自宅で、まだあんまり仕事が手に付かない。引っ越しをしたらこれから家賃もちゃんと発生するので、いよいよ立ち止まれない。

午後は甲子園決勝が少し気になりつつ、仕事をしなくてはいけないという気持ちが拭えずしっかりは見なかった。ばばも昼寝をしたいようだったが、試合が気になっている様子でソワソワ。テレビをつけたり消したりしていた。

そうこうしていると今はメキシコにいる泉から電話がかかってきた。最初はざっくりと近況報告をし合ったように思うが、お互いに日記に書いていたり録音していたりするので、何を話して何を話していないのかよく分からなかった。

泉との会話の中で特に印象的だったのが、旅においてその流れを左右するひとつひとつの選択について。どこに行き、泊まり、お金を使うのか、移動手段はどうするか、旅にはそういった選択を迫られる場面がたくさんある。私は泉の話を聞いていて、最初は彼ができるだけ安価な移動手段や宿などを選ぶことが、彼が目指している旅人として理想なのかもしれないと思った。しかしもっと詳しく話を聞いていると、どうやらそれは私の勘違いだったように思う。彼が言っている選択の基準は、価格の高いか安いかや、時間がかかるかかからないかなど、単純な二項対立のどちらかに決まっているわけではない。

泉も私と話しながら、言語化を通して理解を深めていっている感じだった。おそらく彼が旅の途中でする選択の基準は、どれだけ選ぶ道が自分にとって未知であるか、ということ。彼の例えが分かりやすかった。選ぶ道の先が光で照らされて見えているか、暗闇に包まれて一歩先も見えていないか。あえて闇の方に飛び込むことで、未知の可能性を広げていけるのではないか、そんなことを彼は目指しているように感じた。しかしまた、その暗闇の先にあるものを想像して感じようとすることも大切だと言う。その闇は本当に自分に必要な闇なのか。そういった選択を強いられる場面が、旅では特に多いとのこと。この話を聞いていて、何故か私は旅に出ていない自分自身の生活を思った。きっと日常でもそれくらい色々なことを決めながら前に進んでいて、ただ旅ほど自身の生存に関わっている実感がないためか、その選択の重みを感じにくくなっているのだと思う。私はこれを想像としてしか語れないが、泉は旅に出ることで彼自身の身体をもって実感しているのだろうか。だとしたら彼は今、ものすごく大切な気づきを得ている、そんな過程にいる気がする。

結局2時間くらい話していて、気づくとメキシコは午前3時半になっていたので電話を切った。久しぶりに顔を見て話せて良かった。

彼が旅を通して見つけているのは、実はとてもシンプルで力強い、どこか生きていくことの根本にあるもののような気がした。無責任に泉のこの先が大丈夫だとは言えないけれど、彼がどういう選択をしても、どう迷っていても、私は友人としてその姿を見ていたい。

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