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🔲 青春の挫折 「夕顔の巻」5

夕顔は、怪死し、空蝉は、夫と伊予の国へと旅立ちます。取り残された源氏の寂しくもつらい秋の暮れ。源氏はしみじみと自己を振り返ります。その様子が、次のように語られています。

今日ぞ、冬立つ日なりけるもしるく、うちしぐれて、空の気色、いとあはれなり。ながめくらし給ひて、
   (源氏) 過ぎにしも今日別るゝも二道に
             行くかた知らぬ秋の暮れかな
なほ、「かく人知れぬことは、苦しかりけり」と、おぼし知りぬらんかし。 

古典文学大系一 174頁

「夕顔は、死んでしまい、もう一人の恋人・空蝉は、今日、夫と共に伊予の国へ下ってしまう。私一人を残して、冥途と伊予と。知らない世界へと旅立って行く。そんな寂しい秋の暮れであるよ。」一人取り残された源氏の苦しい心が表現された歌です。

古典文学大系の注によると、「夕顔の巻」の源氏は、17歳。「雨夜の品定め」で覚醒された恋へのあこがれは燃え上がります。「伊勢物語」の主人公や「交野の少将」に挑戦するがごとき自由奔放な恋の世界にのめり込んでいったのです。源氏の青春が始まります。

身分や生い立ちや教養などの一切の制約から解放された世界で純粋に恋愛を開花させていくのです。夕顔や空蝉のような女性は、源氏にとっては不可解です。経験したことのない女性なんです。だからこそ、源氏の恋心は一層燃え上がっていきました。

しかし、結末は、悲しく寂しく苦しいものだったのです。二人は、結局、源氏から離別します。取り残された源氏は、自分を見つめるしかなかったのです。洪水の後のような虚しい世界に取り残された自分。青春が過ぎ去ってしまったことを痛感しなければならないのです。青春の挫折を源氏も認識せざるを得なかったのです。

ところで、源氏の青春の挫折を語る紫式部の青春って、どんなものだったのでしょうか。とっても興味がありますよね。青春時代を奔放に生きるからこそ青春の挫折が理解できるんです。しかし、「紫式部日記」を読んでも、自由奔放な紫式部は見つからないようです。それなら何故?疑問は、より一層、膨らみます。


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