見出し画像

「少し意見が異なる人とのコミュニケーション」を考える

ちょっと思うところがあって、ツイッターでは1ヵ月ほど政治がらみのツイートを控える、という話をしてほぼ1週間。たまにRTや「いいね」などはしているけれど、一応は控えているつもりです。その代わりと言っては何ですが、文字数制限のないnoteでひとつ。

新型コロナ禍が本格的になって、ほぼ1年半が経過しました。その特殊な環境のせいか、それまで「わりと意見が近いな」と思っていた人が(自分にとって)極端な意見を言い出したり、とても同意できないスタンスを取る姿を見て悲しくなった、という経験がある人も、多いのではないかと思います。

そんな中で、ここ最近のTLで目立ってきた「根本的にではなく、少しだけ意見の異なる人同士の間の分断」について思うところがあったので、超久しぶりにnoteに手を出した次第です。

簡単に言えば「根本的に立ち位置が異なる」わけでもなく、わりと近い位置にいるはずの人の「意見の違い」に対して、やけに攻撃的になる人が多いなあ、と思っているわけです。私はたいていの場合、仮に「どちらか寄り」であったとしても、対立する側の意見もわかるので、なかなか一方には振り切れません。

分科会(専門家会議)に対する姿勢について

たとえば尾身先生をはじめとする、専門家会議に対する意見。

私は彼らについて「科学をとことん軽視する行政府の下で、頭が下がるほど根気強く対応しているし、限られた権限の中で『最悪』を避けるために必要なことを粛々と行っている」と考え、尊敬し、今現在も期待しています。防疫は少なからず政治的な一面を持ちます(というか政治そのものです)。その中で実質的に成果を上げるためには、発言が政治的にならざるを得ないのも理解できます。

なので彼らを「御用学者」とか「無能の集まり」のようにこき下ろす人たちには同意できません。私は医学的な知見に関してはもちろんド素人なのですが、コロナに関して信頼できる発言をしているな、と感じている医師クラスタの面々に、尾身先生を(過去の業績からではなく、現在の発言を受けて)全面的に支持している人が多いのも納得です。

その一方で、本当に「現政権が科学に対して不誠実で、さらに理不尽で傲慢である」という背景を認識したうえで「もう少し分科会(専門家会議)が強気に出たほうが、いい結果を得られたかもしれない」とか「もう職を辞す覚悟で、政権に最後通告を突き付けちまえ!」と思ってしまうこともあります。それをしないのが尾身さんたちの覚悟であり、国民に対する誠意である、とは認識しながらも、です。

また、国の防疫方針を無視して幅広いPCR検査と隔離を実施し、ここ数日、新規感染者ゼロを続けている鳥取県の例などを見ると、もちろん東京や大阪とは環境が違うことはわかっていても「もっと初期に幅広いPCR検査と隔離を行っていれば、状況はまるで違ったのではないか」と考える自分もいます。その意味では専門家会議(当時)の動きに不満を感じることもありますし、そういう意味で「分科会は頼りない」「責任を果たし切れていない」という意見に一定の理解はできるのです。

「政権の科学に対する姿勢がダメすぎる」ことが一番の問題なのは、菅政権発足直後に起きた学術会議の問題からも明らかです。そんな中で分科会は理不尽なまでにその発言を軽視されながらも、できることを粛々とやっている。それと「真の実情はわからない自分から見ると、もう少しうまくできなかったのだろうかと感じてしまう」という感情は、私の中では矛盾なく両立しています。

ある意味、要は自分の中でも多少は「ブレている」んです。これ、わりと普通なことじゃないですかね?

野党共闘を巡る枝野発言について

たとえば直近、野党クラスタの間で話題となった「共産党とは連立政権は組まない」という立憲民主党・枝野党首の発言に対する意見。

私は「今の状態で共産党が連立に入ったら、野党になった自民党の攻撃により大量の踏み絵を踏まされて、あっという間に政権は崩壊するし、それで最も困るのは共産党だ」という枝野さんの見立ては(2009年からの民主党政権における社民党の離脱などを考えると)至極真っ当だと思うし、その発言を冷静に受け止めたうえで共闘を進めようとしている共産党の志位さんや小池さんも、見立ては同じなのではと思っています。

そういう意味では「枝野は傲慢だ」とか「連合の飼い犬だ」「連合を切れ」「結局、政権を取る気はないんだ」「第二の自民党だ」とか言っている人にはいっさい同意できないし、もう少し状況を冷静に見てくれ、知識をブラッシュアップしてくれと思わざるを得ません。特に、わりと影響のあるリベラル系(と思われている)有名俳優さんや文化人の方などがこの手の噴き上がりを見せていると「勘弁してほしい」と感じてしまいます。

しかし、それこそ若かりしころ、政治にたいして興味がなかったころの自分が今、自公政権の傲慢さに憤って興味を持ち始め、そのタイミングで枝野発言を聞いたとしたら、きっと彼らのように感じて憤っていただろうな、というのもわかるのです。

そういう意味で枝野さんの発言は、同様に状況を正確に把握している立憲のベテラン勢や共産党の幹部級、もしくは長年、野党を見てきている政治クラスタには理解されたとしても、政治に詳しいわけでもなく「とにかく理不尽な今の政権を倒してほしい」と考えている人(詳しい人よりも、こちらの方が圧倒的に多いと思う)に対してはかなり「優しくない発言」であり、そういう方々の「共闘に対する期待感」を削いでしまいかねないこともわかります。そして「そこが問題なんだ」という声は、かなり理解できます。枝野発言に憤っている人に「お前は何もわかっていない」とマウントを取って否定することは、私にはできません。

ちなみに、先に記したリベラル系の有名俳優さんは、最初の枝野発言には激昂して罵倒ツイートをしていましたが、その後に枝野さんがラジオで発言の真意を説明していたのを聞いて一応、矛を収め、罵倒ツイートは消していらっしゃいました。今、野党サイド(の支持者)に必要なのは、枝野発言に失望してしまった人たちの一人でも多くに、状況および発言の真意を理解してもらうことでしょう。一応矛を収めた、その俳優さんのように。そのためには、マウントを取るような行為はマイナスでしかありません。

いずれにせよ小さな箱の中の話です

はじめに述べたように「『少し意見が異なる人』に対して攻撃的になる人が多いなあ」と感じて、この文章を書きました。

一つ目の結論としては、人それぞれの知識や立ち位置によって「見えているものが異なる」のは当然の話なので、マウントを取ったり、相手を全否定したりせずに「理解を促す」ことが大切なのではないか、ということ。もちろんその過程で、もしかしたら「自分が間違えていること」に気づけるかもしれません。

もちろん、ある問題に真剣に向き合っている人ほど、的外れな意見を高圧的に言われたら腹も立つでしょう。この文章に対しても「きれいごとばかり言ってるんじゃねえよ」と思う人もいるでしょう。そんな人は、次の二つ目の結論を頭の片隅に置けば、激昂することも減るのではないかと思います。

二つ目の結論は「いずれにせよ小さな箱の中の話である」と改めて認識すべき、ということです。これは私が「政治に関するツイート」を控えようと考えた件にもつながってくるのですが、気を付けているつもりでも、TL上で盛り上がっている話題は「世の中でも盛り上がっている」と勘違いしてしまうものです。

これ、今現在、少しTLを離れて見ることで、自分自身が実感しています。マジで毎日、日本政府の五輪強行に対する不満や不安を表に出している人とか、世の中にはほとんどいないんじゃないかな。私のTLには(私も含めて)そんな人ばかりですが。※もちろん「心の中で」不満や不安が渦巻いている人は、世論調査の結果を見ても「山ほどいる」と思いますが。

どうしても意見の異なる相手の言い草に腹が立ってしまう人は「どんなに影響力がありそうな人のツイートでも、世の中的にはツイッターの影響力はかなり限定的で、たいていの場合はゼロに近い」という事実を思い出せば、怒りも和らぐんじゃないでしょうか。

3000文字以上も書いてしまいました。ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。とりあえず、この辺で。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?