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分離が生じた状態について(補足)

人はわかってほしい4の記事の中で


”「これはわたしではない」

と拒否(拒絶)すると、

そこに見かけ上の”分離”が生じます。

ほんらいはひとつである私

私の一部を「これはわたしではない」

といって拒否(拒絶)すると、

自分の一部を自分から切り離す(排除しようとする)

ベクトルが働くので、

そこに”痛み”が生じます。”


と書きました。


この部分を、図にしたものがこれ⇓です。

IMG_art_image0092

私はこの図のおかげで

これを頭の中でイメージしながら確実に

自分の中にある


自己否定している部分やそこから生じる痛み


というものに気づき


古いエネルギーを
手放していくことができました。

古いエネルギーというのは、

たとえばずっと昔、
今よりももっと古い時代についた魂の傷
があるとすると、

その傷があると、ずっと転生を繰り返ししていくうちに
その上に埃やチリがずーっと積み重なっていくんですね。

そうやって積み重なっていったものは、
同じ周波数のものと共鳴しますから、

チリや埃の周波数が重ければ、
それと同じ周波数(つまりチリや埃)と共鳴し続けることになります。

ずっと積み重なっていくチリや埃のもととなる傷(痛み)は、
それに気付きたくない場合など、
魂の深いところに隠されている場合もあります。


けれども、現実というのは
意識している部分も意識していない部分も含めた
自分のトータルの周波数が反映しますので、

自分の痛みに気付かないようにしていたとしても、
その写し鏡である現実を見ると、

どこかに不具合、というよりも、自分の内側を反映した
不調和を奏でる部分がどこかある傾向にあるのです。


そういったもの(チリや埃)が、
自分の手放しが進むことによって

または

地球や宇宙の周波数が上昇していくことによって、

表層部に浮上してくると言われます。


そうすることで、それに気づいて手放すことを選べば、
どんどん手放して軽くなっていくことが出来る

ということなのだと思います。


そして、過去の時代で傷がついた部分を

前の前の転生でもなく
その前の前の転生でもなく
さらにその前の前の転生に、でもなく

今このタイミングで気付いて手放す(か手放さずにいるか)
を決めるのも、魂の計画だと言われます。

話が脇道にそれました。笑


冒頭の文章の中にある、

「ほんらいはひとつである私」

の部分が、図では、

黒っぽいグレーの線で丸くしてあるところ

です。


グレーの線がすこしぼんやりした線で表しているのは。

ほんとうは”本来の私”というのは
どこからどこまでという区切りがないくらい大きいのですが、
概念上分かりやすくするために一応範囲を区切って表しています。

”本来の私”の概念は、捉え方や人によって様々ですので
必ずしもここで書いた限りではありません。


「自分の一部を拒否(拒絶)して、
そこに見かけ上の”分離”が生じた部分」

にあたるのが、図の右側部分にある赤色で<)と
表した部分です。

そして、

「拒否(拒絶)することで、

自分の一部を自分から切り離す(排除しようとする)

ベクトルが働くことで生じる”痛み”」


を、

黄色の吹き出しで、


痛みの出る部分 としています。


正確には、バシャールが言っていますが、

本当に分離はしないそうです。


どうしてかというと、ほんとうに源(創造主とか神とかソースとか)

から切り離すと、その部分は”存在”できないからです。


例えば、あなたが今いるその空間で、

あなたのまわりにある空気の一部を囲ってどこかに切り離そうとしても、

そこにはまた別の空気がやってきて完全に”切り離す”

ということはできないはずです(360度囲うことで見た目は切り離したようにできる
かもしれませんが、、)


ちなみにこの”(360度囲うことで見た目は切り離したように”した状態を、

拗ねということもできます。


このことに気付いたのは、

宇宙理論で有名なHappyさんがブログ<今はもうないですが、、)
の中で書いていました。

魂(の私)は、分離が起きると、本来自分は100%の状態であるのが、

分離によって例えば100%だったのが80%に減ってしまった

と感じるそうです。

そう感じることによって、魂は、その減ったと思う部分を

無意識に埋め合わせて100%の状態にしようとする。


その状態が、あれこれと外側に求めて、得て満たそうとする
動きになる

というようなことです(要約)。


けれども、外側のあれこれ、いろんなものやお金もすべて
つぶつぶの集合物なので、

いくらいろんなものを”得た”としても、


本当に満たされるということはなくて、


一時的には満足や満たされた気分を味わうことが出来ますが、

またしばらくしたらほかの何かを求めたくなる、、


というサイクルを繰り返すパターンになるのはこれが理由だからです。


この記事の中
でもちょっと書きましたが、


ここでの特徴は、


”得る”

であって、

そのベクトルは


外側から自分の方へと向かう矢印


私  ←  外側

だということです。


逆に、「与える」というベクトルはどういう方向かというと、


私   →   外側


という形です。


「私」を中心に見ると、


”得る”というベクトルと

”与える”というベクトルは真逆なのです。

他には、「枯渇ポイント」という言葉も使います。

この概念は、何度も出てくる部分なので
よく覚えておいてください。


つづく




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